才能ない脳

かわいい自分を演出するためだったのにいつのまにやらゲボの掃き溜め

蝶々結び

バイト辞めたい、ずっと寝てたい

週4、4時間時給820円、月収換算5万弱の超絶楽勝のはずのバイトがしんどくなってしまった。たぶん、身体的な負荷とかは関係なくて、いままで少し飛ばしすぎてたというか、いい顔をしていた揺り返しなんだろうと思う。大学時代に講義で習った適応障害という言葉が浮かぶ。過剰適応で自滅するのはこれで一体何回目なんだろうか。とにかく、行きたくないのだ。なんでかな、レジくらいしかすることはないのにな。昨日はズル休みをしてしまいましたので、社会人としては失格です。

 

□好意と行為と恋

 きっかけはツイッターの話。すきなひとばかりフォローしていたら、すきなひとがたくさんできてしまった。こんなことを言っていいのかわからないけれど、恋人との通話よりもLINEよりも、楽しい時間がたくさんあって、それらは大抵すきなひとたちによるものなんです。それはめのちゃんだったり、阿久津だったり、りゅうくんだったり、鴨さんだったりなんだけど、楽しかったり、楽しそうだったり。昨日も僕のかわいこちゃんだった早大生との通話していて思い知らされた。なにもない僕の生活を彩ってくれる他者の幸福。素直に喜べるときばかりじゃないけど、それでも大切なものだと思っているよ。友達だって言えたらなぁ。まだそれだけの関係性は築けていないようにおもうから、すきなひとなの。

 すきなひとたちと恋人はあまりに違う場所にいて、なんていうか、これが僕の欲しかったものなのか疑わしい気持ちを抱いてしまう。

 恋人に対しては恋じゃなくて友愛の気持ちで付き合っていきたいと思っているから、(そもそも恋が必要だったらこのかわいこちゃんがすごい!2016のことでアタマがいっぱいの時に他の誰かと付き合ったりしない)それはそれでいいのだけど。

 僕よりも、相手が疲弊している、のを感じている。たぶん、そろそろ。だけど、その時が来たら泣くんだろな。

 

□冬

 大橋トリオとかSalyuとか、なんとなく他の季節にはなかなか聞かないような音楽を聞いている。それでも思い出にはなってくれなくて、なんだかこの街にはなにもないことをひたすら感じるだけみたいだ。

 からっぽでも、わたしはわたしよ、と言えるようになったけれど、喪失は怖い。かつてわたしだったはずのものが抜け落ちていくのは恐ろしいよ。

 


Aimer 『蝶々結び』

POSITIVE STRESS

□ POSITIVE STRESS

 後輩女子:山口と大森靖子ちゃんのTOKYO BALCK HOLEツアーファイナル@ZEPP東京にいきます。


大森靖子「POSITIVE STRESS」MusicClip

 新譜のPOSITIVE STRESS、いいです。

 火山ちゃんが「大森靖子は弾き語りの頃が一番よかったなんて言わずに今の大森靖子をみなよ、最強で最高だから」みたいなこと言ってて、グッときました。

 おれはもう、「二丁目の大森靖子になりたい」なんて厚かましくてとても言えなくなってしまったけど、あんな気持ちがもう一度思い出せたらな(そもそも二丁目はおれの居場所ではなくなってしまった)(そもそもそもそも楽器が出来ない)。

 ねえ、寒いですね。地下鉄の駅を出たら息が白くなって、まだ11月になったばかりなのにね、真冬みたい、とは後輩女子:山口の台詞。風邪ひきそうよ。

 

□魔法が使えないなら死にたい

 少し昔話をさせてね。

 2013年の4月、タワーレコード新宿店の邦楽フロアで「魔法が使えないなら死にたい」という文字を目にしたとき、おれはアタマん中がグシャってした。お前はわかってくれんのかよって、まだ信じられなくてイラだったけど、ちょっとうれしかった。キモイね。その言葉は、おれの鬱屈した生活のだいたいほとんどすべてだとおもった。で、ジャケットを見て唖然。「これ、勝訴じゃん、大丈夫かよ」それが大森靖子だった。

 そのころのおれは、タワレコのポップやキャッチコピー、さらには”ポスト○○!!”といった表現に辟易していて、音楽のことなんてそんなに好きじゃないかもしれないとすらおもってた。タワレコにいたのも、多分新宿でホモと遊ぶための待ち合わせまで、時間を潰していただけだと思う。でも視聴機のヘッドホンを耳につけて、そのアルバムを聴いたとき、愛してるよ、愛してるよ、愛してるよと繰り返す、予想していたよりも少ししゃがれた女の声に、これはもうダメだ、すきになるって確信した。そのCDは宝物になった。

 おれはそれまでアーティストのライブなんて数えるほどしか行ったことがなかったんだけど、トリプルファイヤーとのインストアライブ、新宿LOFTでの転校生、ベルハーとの3マンライブ、そんで、渋谷クアトロワンマンと、彼女のライブにはちょいちょい足を運んだ。ギターをかき鳴らして歌う彼女に圧倒されるのはなによりも気持ちがよかった。

 おれの2013年はこのアルバムと共にあったと思う。ホモのツイッターに歌詞を投稿してメンヘラ扱いされた。クリエイティブライティングの講義では、彼女の歌詞をもとにショートエッセイを書いた。@ユーチューブさんで彼女のライブ映像や動画をずっと見ていた。おれの部屋ではいつも大森靖子が流れていた。

 彼女の言う魔法とは、おれが考えてたようなファンタジーの世界の魔法じゃなくて、もっとずっとたしかな音楽の魔法のことだったけど、魔法が使えないなら死にたいと歌う彼女はもう、とっくに魔法使いだと思った。クソ陳腐な言葉でごめん。だっておれの生活を描き換えてしまったんだもの。


大森靖子「魔法が使えないなら」PV

 

□ファンレター

 こんなにすきだって、おれはただのファン、消費者でしかなくてね。だからCDも買うし、ライブもいくし、応援したいと思っているけれど、それでも1ファンの枠からはどうしても出ることが出来なくて、きっと靖子ちゃんがおれの声のことを「かわいい声ですね~」って言ってくれたことも、おれがそれで自分の気持ち悪いと思ってたホゲホゲ声を受け入れられたことも伝えられなくて、このままいつかよくわかんないままよくわかんなくなっちゃってこんな気持ちを忘れるのかなって思ったら、すごくさみしいよ。一度だけふぁぼってくれたあのツイートはおれの宝物です。

 もし何者かになれたら、大森靖子ちゃんの大ファンですって言いたかったな。それだけなんだけど。

NANIMONO

何が何者にもなれないだよバーーーーーーーーーーカ!!!!!!!!!!

ったりめーだろ!!!!!

 

 このブログを始めて最初に使った文字サイズ変更機能がこんな文章だ。うわあ。

 NANIMONO feat.米津玄師、キャッチーでいいですよね。映画はキャスティングが気に入らないので見ていません。二時間座っていられないので見ていません。原作を最後まで読んでいないので見ていません。見る予定もありません。

 

とか言ってる間に劇場公開が終わりかけています。


中田ヤスタカ 「NANIMONO (feat. 米津玄師)」MV FULL ver.

 

ウッ

 

 おいしいカレーがたべたい

 

バイバイバイト梅毒

 もうすぐ僕は25歳で、それはつまりもう性格も生き方も価値観も変えられないほど固定されてしまったということだとおもっているよ。だけどそれはようやく自分が自分じゃなくなる恐怖から解放されるということなのかもしれない。僕は誰かにこんな自分を変えてほしいと嘆きながら、自分が薄まることに常に怯えていたのかもしれないね。だけどこんなんになっちゃったよ。自己肯定感はあまりに希薄だ。

 アルバイト先でオーナーと二人でやる夜勤があまりにきつかったので、宝具:精神科通い手帳持ち(ランク:E)を行使して昼勤に移ったら邪悪なババアにいじめられた。世の中。パートのババアは偉そうで横柄でおせっかい焼きでしつこかった。○○さんがしんどいんでやめます、と言ったらエリアマネージャーと口喧嘩になった。そこでは感情的になってしまったので僕の負け。結局オーナーが気を使ってくれて夕勤の4時間だけ働くことになった。まだ一ヶ月なのに我儘を言いすぎている気がする。辞めるのとどちらが良かっただろう。まあバイトだし、という言い訳をいつも念頭に置いている。

 アルバイト先に小、中学校時代の同級生がきた、2人の子供を連れて。ケバいお姉さんだなあ、とおもっていたら、僕の名前を呼んで、あっ?え~~~ウケる~~!元気だった?え?地元に居んの?知らなかった~~!!と話しかけてくれた。警戒していたほど、その出来事は不快ではなく、また来てね、と言って見送った。彼女の上の子がずっと「ヤダ!!」と言っていて、「○○ちゃん、ねぇ、このお兄ちゃんね、ママの学校のおともだちなんだよ」と紹介されたのだけど、「ヤダーーー!!」と言われたのがとても可笑しかった。そっか、もうそんな大きい子がいるんだね。なんだか羨ましかった。

 僕は僕が恐れていたほど憎まれていなかった、ような気分になった。彼女はケバいお姉さんだったけれど、ちゃんと母親だった。それがどれだけ特別なことか、きっと彼女本人もしらないだろな。

 めのちゃんが仲良くしてくれている。(!)あんなに恋焦がれためのちゃんが、こんな僕と(たとえツイッターの付き合いでも)仲良くしてくれているのがうれしい。そんなめのちゃんが、「自分は”何者かになれなかった何か”になれたとおもっているよ」と言っていた。素敵だと思った。結局なにを言っても、どうしても、自分の価値を決めるのは自分なのだと思う。少しわかったことだけど、僕を何者かにしてくれたのはドラマチックな恋でも、映画みたいな逃避行でもなくて、ありふれたコンビニのバイトだった。それは客観的視点のふりをした主観でしかないのかもしれないよ。

 僕はフリーター、ニート見習い、実家暮らし。手帳持ちのメンヘラだけど、それで今は充分だとおもった。

 

 とか言って来月にはやめてたりしてな!

花束を君に

□加速

 いろいろなことが突然動き出した。前回の記事を書いてからの20日ほどで僕は少し変性したように思う。かわいい自分を取り戻さなくては、と思って、焦ってブログを書いている。かわいい自分なんて、いつの日もいたことなかったけど、なら、なにを探しているのか、わからないけど。とにかく、なにもしないことからうまれる焦燥感とは別の、違う焦りが僕を襲っている。どうしよう。処理が出来ない。間に合わない。ああ、これが、あの。

 (生活が善くなりますように、と受けたバイトの面接では週5の夜勤を命じられ、今からいつぺシャッと潰れてばっくれようか逆算しているし、せめて自分を好きになれますように、と願って買った黒のフォークギターも、すでに薄くホコリを纏っている。3カポ。)

□膨張

9/13、9/27

 この2回で、通院している精神科で心理検査を受けた。WAISの数唱・逆唱ができなくて、あ、音声系がダメなのかもしれない、と気づいてしまった。大学の講義でやったはずのロールシャッハでもなんか的外れなことばかり言っていたし、もしかして、アタマ、悪くなってるんじゃないか?nou ni tokeru asobi?

 (夢をみるのも自由、恋をするのも自由、この場合の自由とは、許可されている、よりも少しよわい意味で、推奨されているのとはもっと違う)

 病院の先生は、週5の夜勤について、勧めない、無理だなって思ったら早めに辞めること、と言っていた。身体だけは壊さないようにね、とも言っていたけれど、こんな身体に価値があるとも思えない。ただ、病気になると金がかかるということは知っている。金は親が出す。

 (ゲイセクシャルがペドフィルやネクロフィル、ズーフィルとおなじくらいいけないことで、社会がそれを認めなくても、僕はいくらでもアンダーグラウンドで行為をする、恋をする)

9/27

 宇多田ヒカルの新譜を買った。「花束を君に」が好きだったから。彼女のオリジナルアルバムを買うのは、実はこれが初めてです。田舎にはサブカルチャーどころかカルチャーがないよ、カルチャーセンターはあるのにな。だから僕は宇多田を食べる。御馳走だとおもう。世界中が雨の日も君の笑顔が僕の太陽だったよ、

□dreamless

9/16-22

 懲りてない、また東京へ行ってきた。大丈夫。もう過剰な期待はしていないから。自分の都合のためにまたたくさんの嘘をついて大人から金を巻き上げた。言葉が悪すぎる。でも本当。主な目的は大森靖子の生誕祭と、山口のフォロワーと会うこと。

 アコギを見た母親が激昂して口論になったので予定よりも2日早く家を出た。おかげで会えないはずの会いたかった人に会えた。宿も金銭面もどうにかなったのでいいや。

 山口のフォロワーはかわいかったけど、噛み合わない気持ちをずっと感じていた。

 雨のふる新宿で、どうする?という流れに何度もなったけれど、「君の名は。」も「聲の形」も見たかったけれど、2時間すわっている自信がなかったのでやめた。

 聲の形は大好きな漫画です。映画になったことで、文化人や良識人にぶった切りにされてしまっていることに思うところがないわけでもないけれど、うまく言葉に出来ないし、彼らの正しさは悲しさを孕んでいるから、何も言えない。

 いじめられっ子と被差別民族は少し似ていると思った。

9/22

 最終日、土砂降りの渋谷で、このかわいこちゃんがすごい!2016とデートをした。人目を避けて握った左手が、バカみたいに熱くて、これが恋だと思いました。だけど夢だと思いました。だから僕はきみとさよならしたのち、うっとりしながら線路に飛び込みたくなる衝動を抑えるのに必死でした。帰りたくなかったの。ありがとう、生身のファンタジア。ほかの人ともこうして会ったりするんでしょう。彼氏がいるのも知ってるよ。だけど嬉しかったから、また会いたいな。

□病毒

9/27

 恋人ができた。

□どうしたらあなたみたいになれるの

 もうだめだよ、もうムリ、て境界線がほかの人よりもずっと手前にあって、本当に無理になるまでにやめてしまう。それが自分に甘いとされる所以だ。だけど僕の無理ラインは、ほかの人と違う座標にある。

 なにかしようとするたび、やっぱり僕はポンコツだ、と酷く落ち込むハメになる。だから何もしなかったんだな、と、ようやっと思い出すことが出来た。この感覚を手に出来ただけでもう十分なので、僕を安全な場所に帰してください。ここはどうもおちつかないんです。

 おれは羨ましいよ。きみのことが羨ましい。ごめんね、きみのことなにもしらないけれど、なにもみていないけれど、きみのことがうらやましいんだ。

 愛しているよ、マイフレンド。いつか会ったならどんな話ができるかなぁ。

ニムロッド

□停滞

 とかなんとか言っておいて、前回の更新から少し時間が経ってしまった。やっぱり、毎日ブログを書くほど、僕の毎日はキラキラしてないんだな。うん、キラキラじゃなくてもいいんだけど、言うほどドロドロしているわけでもなくて、なんというか、グレー。灰色で味気ない、というほど無機質でもないのだけど。寝てるんだか起きてんだかの毎日。だけど友達が言う、「家族も友人もいない街での一人暮らししながらの労働」、想像しただけでずっとそっちのがグレーだ。てかもうブラックでいいんじゃないのそれ。つらそうだもの。君の毎日にはやく色が付いたらいいな。それができるのはきっと僕じゃない誰かなのだろうけど。

 冬に仕事を辞めてからプラプラし続けて、もうちょっと正確に言うとスヤスヤし続けて、もう九月…。だから、なんていうか、季節がまた変わって、いい加減ヤバいんじゃないかと思ってしまう。思えてよかった、まだ危機感が残っているということだ、安心。早計。医者はなにも言わないけれど、両親はそうもいかなくて、タウンワーク的なものをもって来たり、ハローワーク障碍者枠雇用に相談してみろなどと言って急かしてくるようになった。このままでは本当に社会性を喪失してしまう。その恐ろしさはわかってはいるのだけど、や、多分はっきりとはわかってないから動かないんだろうけど、なんだろうな。僕はきっとまた仕事を辞めてしまう。そんなふうに思ってるんだよ。

 この九ヶ月間、何をしていたっけ。数か月に一度、東京に出かけて、月に1、2回ほど病院へ出かけて、それ以外はほとんど眠ってような。あとはスマホのゲームとツイッターくらいかな。そのあまりの退廃的、浪費的生活に怖気がしたからこうしてたまにブログなんて書いてるわけなんだけど。でも本当に何をしていたのかいまいち思い出せないんです。夏は嫌いだから意図的にスキップしようとした節もあるけど。何者かになろうなんて気持ちもだいぶ長いこと忘れてて、形骸化した顕示欲だけ残ってたようにもおもう。そんな停滞を続けている。

□ぼくの短絡的な嫌悪、もしくは二分割思考

 これはインターネットのおはなしです。

 ああ、またひとを嫌いになった。僕は動物的なまでに盲信と軽蔑でひとを評する。すきなひとのことは過剰なまでに評価して、すきだ、すきだと祀り上げるし、きらいになった人間のことは常に何か欠陥はないかと悪いところを探して、さらには想像で貶したりする。びょうきじゃん?境界性人格障害のそれとよく似ているでしょう。きっと僕はそれとは別のものだけど。対象のことをLOVE/HATEで分けたがるのは、短絡的で下品な行為?習慣?だとおもう。なにより頭が悪そうだ。のでやめたい。やめよう。まだ感情のステージにおいての出来事ならいいのだけど、善/悪や美/醜についても白/黒つけたがると、他人との摩擦は増えるし、なにより自分が生きづらいんだよな。世の中には「どちらでもない」グレーゾーンや、「どちらかといえば~~」みたいな、相対的なものの方が多いってことを、経験を伴った実感として知るべきなんだと思う。僕はね。

 このような思考の作業を、他者を嫌いになるたびに一通り、ルーティンワークのようにする羽目になる。反省はあっても活かされないこともあるのだ。おれに恋が難しいってのは、つまりはこういった極端な対人評価からも伺えるよなあ。すきとかきらいとか、そういうのどうでもよくなるくらい一緒に居られたら、あるいは違うのかもしれない。友愛から恋になれたらいいな、うん。

 物事に対する価値観が明確に分化されていることは一つの美しさだとおもうけれど、同時にそれはとても苦しいことなのかもしれない。ってこれ、自分が他人を貶していることを正当化しているだけのようにも思えるな。僕はセコイ人間ですわ、ほんとね。自分と似ているものに対して批判が甘くなってしまうのは少しずるいかな。そもそも批評家気取りなのが笑えるよね。ごめんね。ちょっと身の程知らずだよね。うん。

 同じことが成功/失敗にも言えるようにおもう。すぐあれは失敗だったと決めつけたりするけれど、本当はそれほど致命的ではないのかもしれないよね、なんて希望的観測過ぎるかもしれないけど、そうでもないと自分を保てない夜もあるよな、知らんよな。

□再稼働

 家から歩いて5分ほどのところにコンビニができるそうだ。新聞の折り込みチラシにスタッフ募集と書いてあった。またとないチャンスだと思う。25歳でフリーターでも全然いいよな、ニートよりましさ。そういって自分を甘やかしたり励ましたりしてみる。明日、電話をかけてみよう。生活がよくなりますように。


People In The Box「ニムロッド」

ユキカ

□おれはすきなひとを凸レンズにしてその向こう側にイデアを見てるの

 このところまめにブログを更新できていて嬉しい。たとえ一日のアクセス数が3でも、おれは自分のためにすら、なにかをするということができない人間だから、こうして文章を書けるということが嬉しいです。自己満足だっていいです。けれど、特に言いたいことがあるわけでもないし、日常の中にキラキラを見出すことはまだできないでいる、ので、ブログを書くにはもうネタがない、かもしれない。

 

 今日の小見出し、「おれはすきなひとを凸レンズにしてその向こう側にイデアを見てるの」。いつかここでも話題にした、

9x9lantern.hatenablog.com

この、「すきなひとたくさんいたほうがいいよ」論をおれに教えてくれた人が割と最近口にしていた言葉なんだけど、すげえ気に入ったのでパクりました。言葉が悪い。引用させていただいています。イデアかあ、しばらくそんなもの、考えもしなかったけど、理想形のなにかがすきなひとを通して見えるのなら、それが既定のカタチの恋とか愛じゃなくてもいいのかもしれないな、と思いました。ちなみに先述の彼はこの考え方のせいで独りよがりだとか言われてるぽい。かなしい。

 いつもおれがバカにしながらもすげえ仲良くしてるメンヘラデブ大学生がいるんすけど、先日もそいつの恋バナ()聞きながらア~~愚か~~とか思って、こいつの恋は呪いみたいだな、なんて考えてた。執着と自己愛にまみれているのに、打算的で恐ろしい。本人にこんなこというとまたキレそうだから言わないけど、全然いいものだとは思えないんだな。だけどなんていうか、すきなひとの一挙一動で一喜一憂するの、少し羨ましいな。でもおれはすきなひとの画像をSimejiの背景に設定したり絶対しないぞ!!

 おれは自分のこと、愛とか恋とかでシアワセになれるタイプの人間ではないと思っていたけど、よく考えたらまっとうな恋なんてしたことないかもしれないな。一生に一度の恋とか、真実の愛とか、嘘っぽくてチープだと思っていたけど、それだって本当は美しさなんだとおもう。すきなひとストックなんてつくっていたからよくわからなくなってしまっていたのかもしれない。それだって承知の上でやってたことなのだけど。ひとりの人を好きになって、恋で傷つくよりずっといいと思ってた。でも今のおれは傷ついてみたい。傷ついて泣くほど誰かを好きになってみたいんです。なんかやるせないね。

 恋ってどうしたらできるのだろう。おれは自己愛性パーソナリティ障害は恋なんてできないって言ったこともあるし、メンヘラの恋は依存か妄想とも言ったことがある。正直、そのうち何割かは当たっていると思う。少女漫画とかその延長線上のBL漫画なんかにも、ちゃんとときめいたりせつなくなったりできるのに、生身の人間を相手にするとどうしても性的な視線が先行してしまう。人間性の問題かな。おれはたぶん幾分か動物的なんだと思う。の割には本能に逆行してるよな、笑える。きっと、その動物的な、性欲の対象として相手を見る、ということをやめなくちゃ、恋なんてできないんだろうな、って少しわかった。

 そこまで考えて、結局は「この町じゃ」と思ってしまう。出会いもないし、あったとしてもおれは肉欲の対象としてしか自分を売り込めない(安いオカマだから)。そういえば、冬に中野在住の休日課長似のお兄さんに付き合ってみる?と言われて即答できなかったのは、遠距離恋愛に自信が持てなかったのもあったけど、自分のセールスポイントが安価であることしかわからないからだったんだな、今更だけど。だっておれはあまりにも自己物件なんだもの。精神障害ヒキニートに恋なんて贅沢品だよな、と気が付いてしまった。働いたら恋ができるかな?むむむ。

 他人の恋をいくつも見てきたけど、わからないことばっかりだ。しかもおれはそれらに甲乙をつけたがる節があるんだよな。ただしさやまちがい、善悪や美醜で判断して、気に入らないと割と平気で侮蔑したりして。そういうとこもポンコツなんだろうけど。せめて友達の恋くらいは素直に応援できたらいいのにな。


吉澤嘉代子「ユキカ」MUSIC VIDEO

 ラブソングが好きだ。たとえそれがおれらホモのためにつくられたものじゃなくても、誰かを想ってやさしくなりたいよ。きみのその恋がいつか叶いますように。

 夏の終わりにこんな記事を書いてしまって、おれもすっかりセンチメントにあてられてるな、なんて思った。それから、セミの死骸すら今年はあまり見ていないことに気がついた。

綺麗

□自立支援適用外ヒキニート

 今日は町役場の福祉保健課から電話をもらって、精神障碍者手帳の再申請に行った。前回の申請では書類が足りなくて、結局手続きが完了しないまま放置してしまったので診断書の期限も切れていたし、すこし面倒なことになった。おれは保険証がなく父親の扶養に入っているのだけど、父親の年収が無駄に多いせいで、自立支援医療の適用外となる旨を説明された。一割負担にならないなら、自立支援を申請するメリットはあまりないようにも思うが、正直おれは制度とかもろもろ、よくわかっていない。

 精神障害者手帳を申請することについて、父親はひどく反対していた。狭い農村のような町内のことだ、すぐに知れ渡ることだろう。おれは小さい頃から奇行が目立つ子供で、近所では悪い意味で有名人である。そんなおれのことだ、「あの子おかしいおかしいと思ってたけど、やっぱり精神だって」なんてことも言われかねない。父親はそういった世間体を気にしていたのだろう。どうでもいいけど腹立たしい話ではある。

 今日、町役場で対応してくれた人は、以前母親と仕事で付き合いのあった保健師さんだった。おれのことを「ともちゃん」と呼び、親しげに話し、今後の就職についても親身になってくれた。障碍者枠での採用があり、町内でも募集があることなどを教えていただいた。最後に、大変だと思うけど、いろいろな制度があるからね、上手に利用して生きてこうね、と声をかけられた。なんていうか、優しかった。おれは外界に対して過剰にビビってた自分を知覚した。ありがとうございます、と言って帰った。

 おれはどうしようもなくダメ人間なのに、ダメ人間の中ではマシな方、みたいな話が精神障碍者手帳の等級によって知らされるのだと思う。

pha.hateblo.jp

東京で生きていたら、ちゃんとダメ人間になれただろうか。

 

□おしゃれに生きてみたかったナ

 まずはじめに、おれにとってのおしゃれとはサブカルチャーアンダーグラウンド、クリエイティブ、とかなんかそんな感じ。デザフェスとか最高。カタカナばっかで意味が通りにくいけど、本人もわかって使ってないので問題はない。ある。

 トイちゃんの話をまた出してしまって悪いけど、いや、悪いことをいうわけじゃないから別に悪くないんだけど、けどトイちゃんはこんなブログがあることを知らないし、知らんところで名前を出してることはやっぱり悪いことなのかなぁ。話が逸れた。トイちゃんはいまとてもクリエイティブな方面にいる。クリエイティブホモのお友達も多い。素敵なことだ。正直言って滅茶苦茶羨ましい。ここでおれがうらやんでいるのは、突き詰めてしまえば素敵な友達がいる、ということかもしれない。

 何かを作る、ということは素敵なことだとおもう。ちなみにおれは語彙がないので素敵という言葉を多用するが、そのうえで素敵という言葉がとても好きなので、あまり困ってはいない。また話が逸れた。りゅうくんみたいに音楽を作るひとも素敵だし、トイちゃんみたいに絵を描くひとも素敵だし、タケノヤさんみたいに写真を撮るひともすごく素敵だとおもう。おれには何ができるだろうか、と考えてみたけれど、何者にもなれない呪いを自身に課しているおれは、たぶん何をやってもどこかへはいけないんだろうな、ってやる前から言い訳してる。筋金入りだ。

 東京にいた頃はおしゃれっぽくてちょっとダメなお友達がそれなりにいた。今でも時々ラインをしているけれど、だらけたやりとりのなかでは、彼女らが今何をしているのかさっぱりわからない。ちゃんと暮らしているのだろうか。自称フォトグラファーのおじさんとか、すごいおもしろかったけど、生存力だけで生きてる感じがした。そんなことを口走るおれの生存力はどんなもんかね。10年経っても生きていけるのかしら。


吉澤嘉代子「綺麗」MUSIC VIDEO

 なんか作ってみたいなあ、時間だけはあるんだけど。技術も知識もないんだよなぁ。

セプテンバーさん

□サマーナイト農村

 8月が終わる。というだけでどうしてこうも感傷的にさせられるのかね。夏休みが終わるからなんだろうけど、だけどよく考えたらおれの通っていた高校は8月中にはもう二学期が始まっていたし、そもそも二学期が始まっても学校には行ったり行かなかったりだったからあまり関係のないような気もする。夏なんて大嫌いだから早く終わってほしい、のに、なんていうか、さみしいよね。ここにはもともと誰もいないのに。

 コンビニすらも遠いような農村で精神障害ヒキニートかましてるうちにおれの身体は老けていく。この手もいつかはしわしわになるの。でもそんなことありふれていて、全然ホントにこれっぽっちもロマンチックじゃないし、ただただどうしようもなくかなしい。永遠に続くと思ってた10代が終わったときに、おれは気づくべきだったんだな、生きてるだけで手遅れになり続けてることに。うん、24歳の夏休みが終わる。けど明日も明後日もおれは家から出ないんだろう。ここはとても安全だ。


茶太 夏影 -Airness-

 

□過敏になりたい

 昔はよく、自分が生きているその瞬間がいやでいやでたまらなくなることがあったけど、歳のせいか、薬のせいか、だいぶ何も考えないで生きている時間が増えた。ボーーーっとしていたら1日は終わる、いともたやすく。1週間、1か月、そして季節がまた変わろうとしている。これでいいのか、いいわけないけど。ただどんどん頭は鈍くなっていくし、社会からもはぐれていっているのを感じる。

 昨日は電車に乗るのが怖かった。や、電車に乗ってからだな。なんとなく、人の視線で呼吸が制限されているような気がした。息がつまる。頭のポンコツっぷりは増していくのに、こういう脆さは残っているのが少しくやしい。遠くへ行きたい。

 こうしてブログを書いていて、もどかしい思いをするたびに思い出すことがある。高校の頃受けた、現代文の時間、俳句の授業。おれは日常の中に落ちてるキラキラを掬いとることができない。不満ばかり口にして生きてきた弊害なのだろう。他人の日常がなにもスペシャルであるわけではないのではないか。おれがうつくしさをみつけられないだけで、本当は意外とあるものなのかもしれない、ネタだってそう。なんて、チャンイモやりゅうくんのブログを読んでいて思った。

 うん、おれはりゅうくんのブログが好きだ。直接の面識がないどころか、言葉を交わしたことさえもないのだけど。それこそ、ブログにスターを贈りあうだけの仲なので、おれは彼の名前を出すことすら本当は許されていないのだろうけど。端的に言って知り合い以下である。でも、だからこそニュートラルな目線で彼のブログを読むことができるし、そのうえで彼の語りがとても好きだ。さらに言うなら、今日彼がアップロードしていた歌を聴いて、めちゃくちゃこころを動かされた。つーか焦った。このところ毎日言っているけれど、おれの何者にもなれなさっぷりは筋金入りだとさえ思ったね。

 そんなわけでりゅうくんのことをすごく応援したくなったので、きみのことをすきなニートがどっかの農村に生きてることを笑ってやってほしい。見てくれてたらいいな。

 

□私の夢は

 おれはこうして何者でもない自分を肯定するために、あるいは、あわよくばなんかの拍子に何者かになれちゃったりしないかなんて、淡い甘い期待を抱きながらブログなんか書いちゃってるわけなんだけど。ツイッター、あれはだめだね。本当の気持ちなんて言えやしない、ただだらしのないやりとりがあるだけだ。開き直ってパス美の名前でツイッターしてるけど、だれもおれのドロドロの中身なんか興味ないんだろうな?っておれも同じだ。そういうの求めるから失敗したんじゃないのかなぁ?@自戒

 過去、曲もかけないくせに作詞をして遊んでいた時期があった。塗り絵みたいだな。黒歴史クリーナーに消させたからもう見れないんだけど、なんつーか小山田壮平とか後半は大森靖子の丸パクみたいな歌詞だったなぁ。楽しかったので、いつかまたやりたいな。


大森靖子「マジックミラー」MusicClip

 

アコギが欲しい(そこからか)

生活

マルチタスク不可シングルコア搭載ポンコツイズマイヘッド

  さっきまで考えてたブログの超面白くて超おしゃれで超クレーバーなネタを忘れた。僕はちょっと足りない。あべともみ(漢字が分からない)の漫画に出てきそうだっつーか出たい。んあ、超パンケーキ食べたい。そんなにシャレオッティなヤツじゃなくていいからちゃんとおいしいのにしてね。

 あれからトイちゃんがカラオケで歌ってたうたをずっと聴いている。


Syrup16g 生活

 ――生活はできそう?それはまだ。

 なんで僕は致命的じゃないんだろう。テレビのニュースを見ながらこいつら(加害者)も僕もそんなに変わらないよなぁ的憂鬱を引っ張ったり叩きつけたりして遊んでる。さっき言われたことももう忘れたし、昨日の反省は嘘みたいに実感がない。なるべくなら無害な存在でいたい。誰かを傷つけたり殺したりすることは超わるいことです。でも僕はたぶんわるいひとだから、んあ、駄目、超パンケーキ食べたい。

 出来る事なら賢く、清く正しく、強く優しく美しく、生きたいけど、なんだっけこれ、どうしたらいいのか教えてくれる人はいたけど、ポンコツのくせに言い訳することに慣れた言語野が舌先3寸で不幸ぶってたら逃げちゃった。

 ちゃんと生活することってなんでこんなに難しいんだろう、できてないからその難しさも忘れそうなんだけど。誰か養って、なんてみっともなくて言えやしない。そのプライドが残ってるうちに働くか死ぬかしてみよう、ワークオアデス。

 ひほみんの年収が本当は200万なんかじゃないんだろうなってことがようやくわかってきたの。あのひと、ほんとはつよいひとだとおもうの。

 

□スーパー革新的自己改革カウンセリングキルズミー

  自立する気がほとんどもうないことが両親に気づかれた。カウンセリングも打ち切られそうだよどうしよう?精神科の受診くらいしか家の外に出ていない今の生活から、完全なるヒキニート、パーフェクトヒューマンになっちまいそうだぜ。つまんないよね、ごめんね。でも一大事なの、ほんとだよ。

 カウンセリング、母親と父親と地元とインターネットの悪口しか言っていないので心理療法的な効果があるのか疑わしいし、自分の至らなさとか不甲斐なさとかずっと口にしてる。言い訳にしか聞こえないし、多分、半分くらいはその通りなんだな。セラピストのおねえさんに家族の歪みが安岡パス美(この名前気に入ってる)というカタチをとって表出していると言われてちょっとしめしめと思ったでしょ、やめなよそういうの。

 このどうしようもない甘ったれクズ野郎を更生してくれ!!薬が効かないんだ!!(だって、パーソナリティ障害だから)恋じゃ変われないんだ!!(自分がいちばん大事だから)

 変わりたいって思えるうちにダメだとおもうことをやめてみよう、チェンジオアデス。

 

□ジエンドオブ脳ミュージック脳ライフ終末ヴァージンスーサイド

 大森靖子の新譜3曲でいちばん好きな曲がカバー曲なのウケる。僕はバンドマンじゃないし、クリエイターの苦労もわからないただの我儘な消費者に過ぎないのであった!!でもすき!!


大森靖子「ウェディング・ベル」MusicClip (short ver.)

 それなりにコンプレックスではあるのです、そのくせこうやって盾にしたり振りかざしたりしているのです、口先だけのえらそうなバカは死ねって言ってもいいんだよ。あたしもえらそうなバカは嫌いだよ、あとうるさいブス。

 最近はもう、音楽の魔法も効かなくなってきちゃって、それはたぶん家からでないからで、それはたぶんなんの変化もない生活を送っているからで、それはたぶん中央線が通っていないからで、それはたぶんきみがいないからで、それはたぶん、僕のせいなんだろな。本当にアンダーグラウンドは東京にしかないんだよって歌詞が身に染みるんだよ。幸せになったらいいものが作れないんじゃなくて、人生つらい組なあなたのことがすきすぎたんだよ。僕はね。

 バンドマンなんかにおれの気持ちがわかるわけないなんて言ってごめんね。愛したいよ。


銀杏BOYZ - 生きたい (MV)

 いまの僕にはこれくらいのうたがいいの。ね、突き刺してよ。本物の不感症になる前に。

本当

□後日談は続く

 件の夏ヒェスに行ってきました。8月7日のロッキン。すごい暑さと肉の熱。そもそも暑いのダメだし、人混みもダメなのになぜ行くと言ったのか???自身の無責任さと想像力のNASAに参るのです。誘ってくれた後輩女子には悪いけれど、多分もう行くことはなさそうだなと思ってしま。はじめてのヒェスは計画性もなくて見たいバンドもひとつしか見られなかったし、グッズも売り切れてたりしたけど、それでも楽しくはありました。見たいバンドっつーか大森靖子なんですけど。

 大森靖子のフード付きタオルをかぶっていたら、知らない女の子に話しかけられた。そんなことは初めてだったので少しうれしかった。お祭りニンゲンみたいなひとしかいないひたちなか海浜公園のなかで、その人だけは大森靖子にヤラれちゃってる同胞のような気がした。

 帰りに後輩女子と「まさか天体観測が2回も聞けるなんてねー」「ねー」なんて話しながらゲラゲラ笑ってた。トリのバンプのアンコールまで見てたら終電に間に合うか怪しくなって、死んでも巣鴨まで帰りたくて疾走してたらエスカレーターでコケてアオタンできた。痛いし。

 なんていうか、感動的なフェス体験みたいなことにはならなかったけど、地元での自分を忘れられたのは嬉しかった。あとやっぱり音楽は部屋で一人で聴いてるのが好きだと思った。歌詞が聞き取れないくらいの音量でもいいの。自分の物でいてほしいから。

 

□大切

  8月6日、トイちゃんに会う。トイちゃんはすごい。大学を卒業したのち、昼はバイトで学費を稼ぎながら夜間デザイン系の専門学校に通っている。僕から見ればそれはもう素敵なことだ。嫉妬もできないくらいすごいと思っている。

 ――トイちゃんとは過去にまあそれなりにいろいろあった。わざわざそれを文字に起こすほどの元気はないけれど、一時は本当にきらいになった。トイちゃんを憎んでいた時期は自分にとっても辛っっくて苦し~~時期で、いろんなことがうまくいかなかったし、ゲイコミュニティですらうまくやれない自分に辟易していた。だから仲直りできたことは本当に嬉しかったし、トイちゃんのこともう一度ちゃんと好きになれて、よかった。でもゲイコミュニティに僕の居場所はないままで、トイちゃんは特別みたいだ。

 その日は渋谷パルコの閉館カウントダウンのイベントで、大森靖子が弾き語りフリーライブをやるという情報をトイちゃんがどこからか仕入れてきたので、予定を変更して2人で渋谷へ行った。クソ暑かった。「少女漫画少年漫画」は弾き語りのほうが好きだなと思った。CD音源はアレンジが過剰すぎる。

 同じ場所に、トイちゃんの知り合いの大森靖子フォロワーのゲイ集団がいた。トイちゃんはゲイが複数人集まって内輪のノリを公共の場でするのが怖いと言っていた。僕はそれを腐女子のそれに少し似ているなと思った。僕は自分の話し方が銀魂腐女子に似ているな、といわれたことを思い出した。あーん、関係ない。僕には友達がほとんどいない。どこの世界にも。トイちゃんの知人ゲイは大森靖子の非常に熱心なファンで、大森靖子本人ともSNSでリプライを送りあうほどの親密な仲なのだという。そんな話を聞き流しながら、僕はやっぱりどこにいても何者にも成れない自分を確認した。大森靖子になりたかった。トイちゃんにもなりたかった。僕は、その、なんだ、

 某細専デブの八潮さんとカラオケで性行為をした話を、カラオケでしちゃうトイちゃんは迂闊でかわいいと思った。それから、もうデブは好きじゃないんだ、と言って、笑ってみせた。次に会えたら言おうとずっと思っていたこと、あれは下心だったよ、という言葉が、どうしても言えなかった。

 トイちゃんは僕の数少ない友達だと思う。でもトイちゃんには僕よりも仲のいい友達が何人もいて、僕よりも大切なものがたくさんあるのだと思った。それでいい。東京には僕の居場所はもうないように、トイちゃんの生活の中に僕はもういないのだと思った。それでいい。

  素直に応援しているから、これから先、いいことがたくさんあるといいね。またね。

 

□安いオカマ、略して安岡パス美

 地元に戻ってきてそうそう、清水のマジキチお兄さんに安いオカマと罵倒された。これで3度目である。いいの、わかってるし。でももう若さでは売れないね、って言われたときはひっぱたいてやりたくなった。

 

 But, I'm a Creep....

 

 今回、安いオカマ認定されたのは、新宿の某カラオケ店、ちなみに509号室、で年下のかわいい男の子といかがわしい行為に及んだ話をしたからである。あまり詳しいことは言えないのだが、なんていうかあんまりにもかわいかったので、このかわいこちゃんがすごい!2016といった感じだった。ありていに言って惚れた。

 でもだからといってなにもない。僕の生活は変わらない。清水のマジキチお兄さんにバックでヤラれながら「わんっ、わんっ」とないたら爆笑されたくらいです。「ぶひっ、ぶひぃ」だろ?じゃねーぞ殺すぞ。

 

 犬になりたい