才能ない脳

かわいい自分を演出するためだったのにいつのまにやらゲボの掃き溜め

ユキカ

□おれはすきなひとを凸レンズにしてその向こう側にイデアを見てるの

 このところまめにブログを更新できていて嬉しい。たとえ一日のアクセス数が3でも、おれは自分のためにすら、なにかをするということができない人間だから、こうして文章を書けるということが嬉しいです。自己満足だっていいです。けれど、特に言いたいことがあるわけでもないし、日常の中にキラキラを見出すことはまだできないでいる、ので、ブログを書くにはもうネタがない、かもしれない。

 

 今日の小見出し、「おれはすきなひとを凸レンズにしてその向こう側にイデアを見てるの」。いつかここでも話題にした、

9x9lantern.hatenablog.com

この、「すきなひとたくさんいたほうがいいよ」論をおれに教えてくれた人が割と最近口にしていた言葉なんだけど、すげえ気に入ったのでパクりました。言葉が悪い。引用させていただいています。イデアかあ、しばらくそんなもの、考えもしなかったけど、理想形のなにかがすきなひとを通して見えるのなら、それが既定のカタチの恋とか愛じゃなくてもいいのかもしれないな、と思いました。ちなみに先述の彼はこの考え方のせいで独りよがりだとか言われてるぽい。かなしい。

 いつもおれがバカにしながらもすげえ仲良くしてるメンヘラデブ大学生がいるんすけど、先日もそいつの恋バナ()聞きながらア~~愚か~~とか思って、こいつの恋は呪いみたいだな、なんて考えてた。執着と自己愛にまみれているのに、打算的で恐ろしい。本人にこんなこというとまたキレそうだから言わないけど、全然いいものだとは思えないんだな。だけどなんていうか、すきなひとの一挙一動で一喜一憂するの、少し羨ましいな。でもおれはすきなひとの画像をSimejiの背景に設定したり絶対しないぞ!!

 おれは自分のこと、愛とか恋とかでシアワセになれるタイプの人間ではないと思っていたけど、よく考えたらまっとうな恋なんてしたことないかもしれないな。一生に一度の恋とか、真実の愛とか、嘘っぽくてチープだと思っていたけど、それだって本当は美しさなんだとおもう。すきなひとストックなんてつくっていたからよくわからなくなってしまっていたのかもしれない。それだって承知の上でやってたことなのだけど。ひとりの人を好きになって、恋で傷つくよりずっといいと思ってた。でも今のおれは傷ついてみたい。傷ついて泣くほど誰かを好きになってみたいんです。なんかやるせないね。

 恋ってどうしたらできるのだろう。おれは自己愛性パーソナリティ障害は恋なんてできないって言ったこともあるし、メンヘラの恋は依存か妄想とも言ったことがある。正直、そのうち何割かは当たっていると思う。少女漫画とかその延長線上のBL漫画なんかにも、ちゃんとときめいたりせつなくなったりできるのに、生身の人間を相手にするとどうしても性的な視線が先行してしまう。人間性の問題かな。おれはたぶん幾分か動物的なんだと思う。の割には本能に逆行してるよな、笑える。きっと、その動物的な、性欲の対象として相手を見る、ということをやめなくちゃ、恋なんてできないんだろうな、って少しわかった。

 そこまで考えて、結局は「この町じゃ」と思ってしまう。出会いもないし、あったとしてもおれは肉欲の対象としてしか自分を売り込めない(安いオカマだから)。そういえば、冬に中野在住の休日課長似のお兄さんに付き合ってみる?と言われて即答できなかったのは、遠距離恋愛に自信が持てなかったのもあったけど、自分のセールスポイントが安価であることしかわからないからだったんだな、今更だけど。だっておれはあまりにも自己物件なんだもの。精神障害ヒキニートに恋なんて贅沢品だよな、と気が付いてしまった。働いたら恋ができるかな?むむむ。

 他人の恋をいくつも見てきたけど、わからないことばっかりだ。しかもおれはそれらに甲乙をつけたがる節があるんだよな。ただしさやまちがい、善悪や美醜で判断して、気に入らないと割と平気で侮蔑したりして。そういうとこもポンコツなんだろうけど。せめて友達の恋くらいは素直に応援できたらいいのにな。


吉澤嘉代子「ユキカ」MUSIC VIDEO

 ラブソングが好きだ。たとえそれがおれらホモのためにつくられたものじゃなくても、誰かを想ってやさしくなりたいよ。きみのその恋がいつか叶いますように。

 夏の終わりにこんな記事を書いてしまって、おれもすっかりセンチメントにあてられてるな、なんて思った。それから、セミの死骸すら今年はあまり見ていないことに気がついた。