才能ない脳

かわいい自分を演出するためだったのにいつのまにやらゲボの掃き溜め

大人と怪物

◽︎言うほどツラくない

その日、は不意にやってきて、石化の魔眼で僕の心を石ころにしていった。ただでさえ感性の死にかけたこの心が、あらゆるすばらしいものをゴミにしてしまった。エモいとおもっていたものがクサく感じられるようになった。友達はみんな知らないなにかに入れ替わっていた。知らない人に親しげに話しかけられるのが気持ち悪いと感じるようになった。本当の本当にもうおしまいだと思った。相対する誰かがキモいんじゃなくて自分がクソすぎて他人の目も見られないようなモノになっていた。胸のあたりに息の詰まる感覚がずっとある。笑顔を作るのが酷く疲れる。イヤだ、イヤだ、イヤだ、死んじゃう、死ぬ。死ぬ。こわい。

ひとり。

 

◽︎登戸

孤独なキモいオッサンがまた悲しい事件を起こした。孤独なキモいオッサンを誰も救えない。ひとを殺していい人間なんていない。ひとを殺してしまったら怪物になる。人間ではなくなる。なんで。死にたいならひとりで死ねって言ったお前らを絶対に許さない。ワイドショーなんて大嫌い。死にたくないお前は死にたくなくても老人の運転する暴走プリウスに轢かれて死ね。お前らがキモいヤツはイジメられても仕方ないって、イジメられる側にも問題があるって思っているように、僕はひとりで死ぬことすらできないほど不幸なひとは悲しい怪物に成り果ててもその結末を否定できないって思う。ひとを殺していい人間なんていない。いないのに。今夜も何処かで孤独なキモいオッサンが救いを待ってる。どうか、どうかそのどうしようもなく行き詰まった悲しい未来に、一筋でも燈る光がありますように。

あとイトウヒロキはその攻撃性を他人に向ける前に自分の感性を疑え、クソがよ。

 

◽︎エロ

某寿#司%ボとかいうエモ気取り空洞ブスをはじめとして、自分のこと主人公だと思ってそうなホモみんな無理になちゃた。人生楽しそうなホモはずっと前から無理だし、悲哀にだけは輝きを見出していたのに。「ホモからエモ取ったらエロしかないじゃん」って言ったら、いかにもブログ向けの言葉遊びだねって言われて伝わらないもどかしさに苛立った。エロしかないから、エロしか価値を見出せなくなったから、ハッテントイレで棒立ちしてたらネット掲示板ハッテンスレに「デブが居座ってて邪魔w」って書かれて死にたくなった。出会い系アプリでハウリングしまくってたらゲェバァでネタにされて死にたくなった。ねぇトニちゃん!ホモが憎い…………

自分が主役の物語はたとえ悲劇でも楽しいね!!!!!がんばって自分の人生掴めて偉いね!!!!!死ね!!!!!って言いながらホモアカウンツ消したけど、なにも変わらない。

みじめ。

 

◽︎たすけて

無敵のひとがここにもいます。いつか本当の怪物になってしまう前に、だれかたすけてください。

停滞と妥協

◽︎夜王子と月の姫

特に何も考えていないのに、これでいいやなんて思っているから、思春期もようやく終わりかもとか期待しちゃう。

 

◽︎四月は僕の鬱

大学生だったフォロワーが新社会人になっていて、忙しいアッピルに励んでいたのでそっとミュートした。

 

◽︎君が知らない最近のこと

静岡市にあるゲェバァによく行ってる。そこの従業員(兼、静岡のゲイサークルの幹事)をしているお兄さんからお花見に誘われた。3月末に行われるはずだったお花見は、生憎の雨天で映画鑑賞会に変更になった。今更ながらカメラを止めるな!を見た、見ているようでほとんど唐揚げとか食べててあまり集中して見てはいなかった。なんて、そんなことはわりかしどうでもよくて。そこで出会った同い年の男の子と近頃よく会っている。

彼は学生時代に交通事故に遭い、そこから少し人格が変わったと話した。映画鑑賞会の二次会から帰るとき、少し話したい、と言われて家まで送ってもらった。なんか闇抱えてそうじゃない?初対面の彼に言われた。(えっ(こわい))ただ、彼の話を聞いていると、なんとなく安心した。おれ今は働いてないんだ。(そうなんだ、僕もずっと働いていないよ)去年、ようやく高次脳機能障害だと診断されたんだ。(そっか、診断が下りるまでは苦しかったんじゃない?)東京に比べて静岡はゲイが少ないね、誰もいないみたいだね。(うん、おんなしこと思ってるよ)実は10代の頃にHIVに感染して、これは交通事故の時の血液検査でわかったことなんだけど、今は限界検出以下だから特に支障はなくて、でも医療費がかかって困るんだ。(話してくれてありがとう、でもあまり言わない方がいいかもしれないね。きちんと理解できている人はとてもすくないから)映画鑑賞会の時隣に座ってた男の子はなんかおかしかったよね。(うん、あの子はお店でも困った子扱いされていて、どう考えてもアスペルガー症候群みたいなんだよね)モンストやってる?(友達に誘われてインストールしたけど、すぐやめちゃった)

しばらく話していると、僕の家に着いた。彼の住所を聞くと、うちからは遠くて、バスもない時間帯だった。そんなことを口実にして部屋にあげた。後から聞いた話によれば、僕は連れ込んでおいて、即イビキを上げて爆睡していたそうだ。

友達になりたいな。この街ではじめての友達。静岡に住み始めてから、1年と半年が過ぎていた。

 

◽︎AI読み奴について思ったこと

強い言葉や流行の言葉をふんだんに使って、それっぽいだけで中身のない文章をよく見る。それっぽいだけで中身のない、という角度の視点は従来、僕にはないもので、たいちゃんがスシボのブログ、ツイッターをそう表現していたのを聞いてから生まれたものだ。鬼束ちひろの歌詞みたいだね、と僕は言った。(鬼束ちひろさんごめんなさい、好きです)だけど、僕のブログもツイッターもその視点から見たらなんの中身もないことに変わりはないし、むしろ、わりと好きかもしれないな、なんて思っている。スシボのブログがどんどん内容が薄っぺらくなっていっていることに気づいていないわけではない。(スシボの悪口無限に出てくるからやめな?)

ねぇ、メンヘラって言葉で片付けるのやめない?性格悪い並みに都合のいい言葉だよね。ってツイしようと思ってやめた。これについては大森靖子が散々語ってくれているので。

 

◽︎本当は3月の東京の話をしようと思ったのだけど、ダルいしどんどこくんかわいいしか言えなくなりそうだからやめた。だってどんどこくんかわいいんだもん。

煙草と銃口

□青くない花

ダルい。とにかくダルいのだ。身体が思うように動かない。アタマも全然働かない。やる気もない。お金もない。ダルい。何もしないし何もできないし何もしたくないし何もない。まあいつものことではある。ただ、このダルさは希死念慮にすら繋がらない。ひたすらダルいだけで。このレベルのダルさはちと経験したことがないので、処方でも変わったのかなとか考えてもみたのだがそういうわけでもなくてなんだかわからないまま生きてる。デニーズのドリンクバーでアイスコーヒーを爆飲みしたら一時的に治った、けどお腹を下した。もしこのダルさがとれたらまたギターが、とか、イラストが、とか、東京が、とか言いはじめるのかな、って想像したらダルいままの方が現実的な気がしてきた。調子に乗っている自分も無価値な自分も大嫌いですので。自己愛性PDですので。ありの〜〜ままの〜〜(あの、平成終わりますが?)自分を受け入れられる日が来たらいいのに。それはほんとうにおもうこと。

 

□青くない空

デニーズでコーヒー爆ギメして脳が活動している間にそらいろフラッター(ガンガンコミックス版)を読んだ。単純な僕はまた魔法だとおもった。(魔法はこの世界には存在しないけれど、魔法みたいなものとはときどき出会える、運が良ければ)読み終えた僕はとても素晴らしい気分だったのに、感想を書こうとするとどうしても小学生の読書感想文的メソッドに従ってしまい、自身の経験と照らし合わせたりするから結果ネガティブなことしか言えなくてそれがとても悲しい。キラキラした魔法でカンタンに脳ミソ書き換えられちゃったのに、頁を閉じて煙草の一本でも吸えばその魔法をファンタジーだと言わなきゃ生きられない自分って何、すごく矮小でみっともない。だって、こんなに優しくてまっすぐなひとたち、僕の住んでいる世界では出会えなかったよ。だからせめて、キラキラしたまま閉じ込めておこう。ありがとうね。能代かわいい。また会いたくなったら頁をひらくよ。

 

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みたいな話をしてたら原作者のおくらさんと日下田さんというツイッタラーがご夫婦だそうで、とかいうノイズでしかない情報をフォロワーの方から頂いて、もう……やめてよ……ファンタジーと現実のヒモツケなんてしなくていいんだよ……と思ってしまった。軽い地獄。

魔法使いになれない自分を自覚するたびにまたひとつ呪いをかけられたかのようにダルさが増してゆく。めをとじ、みみをふさぎ、ゆれる。

 

□青くない栞

好きなことが少なくなり、嫌いなことがたくさん増えた。ってこれヨネヅケンシの歌詞じゃん。でも歳をとるってそういうことかもしれないよね。このところ自分のなかで新しいものに対する窓がどんどん閉じてゆくのを感じてんの。新作とかもう出なきゃいいのに変わらない私が古くなってゆくみたい、これは大森靖子ちゃんの歌詞だし。おもしろいもの、たのしいこと、すてきなおんがく、すばらしいほん、まだ知らないそういうもの、たくさんあるはずだし、これからも生まれてゆくのだろうけど、もうそういったものすべてと縁がないように感じてしまうよ。手持ちのおもちゃで一生遊ぶしかないのかもしれないけど、それを選択してるのは自分自身なんだよねー。感性の死、肉体の死よりもなんとなく悲しい気がすんね。ウチらだけのサイコーを見つけるためにさ、もっとdiggろうね。いつでもゴキゲンなBBAになりたいし、ナウくてマヴいギャルでもいたいよね。まあ肉体的にはくたびれたオッサンになるんだけどね。どうしようもねーな現実。って、これからも生きてく前提で話している自分がすこし可笑しい、ほんとう、どうかしてるみたい。

昨日と空白

□特に何も考えていないので、何もないです。

 

金木犀の夜

駅のスターバックスまで出かけて、置かれている小さなボードに描かれていたカボチャがクリスマス向けの商材に入れ替わっていて、いつのまにかHalloweenも終わっていたことを知る。そういえば、もう半袖短パンでは眠れないな。また季節に置いてきぼりをくらった気分だった。もうすぐ27になるのですが、例えばほんの2年前よりも、一年がどんどん早くなってきて、だけど何もない1日は長くて、こんな風に一生は終わるのかな、ってもう100回くらい言っている気がする。少し前に金木犀がたくさん咲いているのを見た気がしたけれど、数えてみたら全然少しじゃなかった。ね、桜が咲いている間だけが春であるように、金木犀が咲いている間だけが秋なのかもしれないよ。僕ら何もなかったね。

さて、11月だ。

 

ラッキーストライク

死のうと思ったのには特別なきっかけなんてなくて、もうとっくにダメになってしまっていることはわかっていて、それがたまたまその日キリが良かったから。でもここで死ぬのはイヤだったからやっぱり東京へ行こうと思った。9monでやり取りしていた中に交通費を出してくれるという奇特なおじさんがいて、甘えさせてもらうことにした。カウンセラーと精神科医にお礼を告げて、その日の夜のバスで東京へ向かった。バスの中ではようやっと死ぬんだ、という安堵感と満足感と少しの感傷でちょっと泣けた。何も知らないままの僕が芦花公園駅がいいなって思ったのは、やっぱり、名前も顔も、ツイッターのIDさえもしらない彼に憧れていたから。でもそれってパクリじゃん、なんのオリジナリティもないじゃん、て、いつかたいちゃんに言われたことを思い出してクスッと笑った。

9monでやり取りしていたおじさんは特別お金持ちでもなく、少しお洒落な細身の人だった。おじさんって言ったら失礼かな、まあいいか。5年ぶりくらいに池袋の花田にラーメンを食べに行ったり、都電荒川線で早稲田まで行ったりして、2日間だけ遊んだ。2日目に明治神宮に参拝に行ったときに、どうかあっさりと死ねますように、死後の世界にはせめて何もありませんように、ととてもかみさまにすることじゃない願い事をした。

金曜の朝、仕事だから、と朝9時前にわかれた。そのとき、ホントに死ぬなら帰りの交通費返してねって言われたのが、彼なりの死ぬなよ、だったのだと思う。踏み倒しますよ、と笑って答えた。

その日は後輩女子山口とカラオケに行った。もうわたしも26ですからね、昼の仕事も探さなくちゃだし、実家の車の名義も書き換えなきゃならないし、めんどくさいことばっかで身体が動かないんですよねー、なんて愚痴を聞いていた。なんとなく、彼女には死のうと思って東京へ来たことは伝えなかった。何度ももう死ぬ!もう死ぬ!とヒステリーをかましてきたから、今更、余計なことは黙っていようと思った。

後輩女子山口とわかれて、僕は新宿三丁目へと向かった。目的地は当然のように2丁目で、邦楽ロックナイトがあったから。そこではよししとかころすけせんせーとかぽんきちくんとかたいしょんくんとかに会ったけれど、何を話したのかよく覚えていない、酒のせいかもしれないし、本当は何も話していないのかもしれない。馬鹿みたいにはしゃいで、踊り続けていたので、汗ぼったになったし、肩と脚の筋肉が死んだ。ニートがたまにイキると痛い目を見る。途中、にんにんが来たので、しばらく行動を共にした。明日の夜空いてるよ、と言われたので家に行きたいと伝えた。明け方、腹が減った、ラーメン食い行こうぜ、と誘われてふたりで抜け出した。どこにでもあるような家系ラーメンを食べながら、ねぇ、前から思ってたんだけど、にんにんととしおってどうしてそんなになかよしなの?と尋ねた。お互い仲良くしているグループも違うし、どうしても受け入れられない部分もおれもあいつも持ってるだろうけど、なんとなくウマが合うんだよね、みたいな返事をもらった。僕は誰ともそんな関係にはなれなかったな、なんてぼんやり思いながら、もう来ないだろういつかのことを考えた。

結局、翌日にんにんと会うことはなかったし、としおとにんにんの家にも行かなかった。

板橋駅に向かう埼京線の中では深夜高速の歌詞を反芻していた。ねぇ、生きててよかったって、今でも思う?オール明けできむらちゃんちに行くと、いつもよりすこしのんびりした様子で出迎えてくれた。土曜のぼんやりした内容のテレビ番組を見ながら(なんかしいたけとか育ててた)、秋の暖かな日差しの中でベッドを借りて少し眠った。夕方、きむらちゅゎんとマツコの知らない世界で紹介されたという湿ったチャーハンを食べに行った。きむらちゅわんはナスバターチャーハンで、僕は牛肉バターチャーハン。店内では逆転裁判のアニメが流れていて、それをぼーっと見ていた。肌寒かったのでUNIQLOでパーカーを買うと、外は土砂降りの雨で、きむらちゅゎんがファミマまで走ってビニール傘を買いに行ってくれた。靴をぐしゃぐしゃにしながら駅まで向かった。いつもなら不快でしかない、歩くたびに水分がにじみ出るような足の感覚が、なんとなく尊く思えた。改札前でじゃあ、楽しんでね、と手を振ってくれたきむらちゅゎんを見ながら、ありがとう、なんて気取って呟いた。

新宿へ着くと、都営新宿線新宿三丁目駅の改札前でたいちゃんに「ともさん」と声をかけられた。知らない人とフォロワーとたいちゃんの組み合わせだったのでなんだろう、と不思議だったのだけど、偶然、傘に入れてくださいと声をかけられただけだということだった。知らない2人は新宿線の改札に消えて行ったので、たいちゃんのバイトの時間までベロ②でお茶をすることにした。たいちゃんは知らない間に2丁目でバイトを始めたそうだ。かろうじてなんで?とだけ聞けるようになるまで時間がかかった。まあ、彼がいいならそれでいい、いつものことである。

たいちゃんをお店まで送って、シャインマートの前で煙草を一本吸って、それからDUBPOPNIGHTへ行った。ワタルさんという、顔出ししていないフォロワーさんに話しかけていただいた。とても素敵な人だった。というか、DUBPOP NIGHTには素敵な人しかいなかった。完全に浮いてるな〜と思っていたけれど、同じくらい浮いてる人がちらほらいたので助かった。道がわからないと嘆いていたぶたきのちゃんを迎えに行って、メメモちゃんにセクハラをして、阿久津と久々に顔を合わせて、エイリアンズを聴いてトイちゃんを思い出して、共演NG暫定ランク1位の退路くんを見かけて萎えたりして、夜はふけていった。のりまろくんがいたら以前はご迷惑をおかけしました、と伝えたかったのだけど、みんな似たような顔をしていたのでどれだかわからなかった。気づけばシャインマートの前で煙草を吸っていたような気もする。そこで柿の木さん(仮)にこんなとこで何してるの?と声をかけられて、吉牛で豚丼大盛りを奢ってもらった。DUBPOP NIGHTはとても素敵な音楽がずっと流れていて、なぜだか急に家のベッドでふて寝したくなった。

明け方、ちかちゃん、その日が初対面だったのだけど、帰らなきゃならないというのでJRの新宿駅まで送っていった。そのあいだ、ずっと腕を組んでいて、始発で各々の家へ向かう有象無象の人の群れのなかでなんだかここだけ温度がちがうような気がしていた。コインロッカーから荷物を出してから、ちかちゃんはすこしふしぎなことを言った。それから、地下からルミネにのぼる階段の影で、あ、あ、

結局、生きていることにも特別な理由なんてなくて、生きようと思ったわけでもなくて、キリが悪くなってしまったから。相変わらず僕はとっくにダメで、これから先もダメなんだと思う。

バスタで、静岡行きの乗れそうなバスありますか、と聞いたときも、生きていこうなんて思ってなくて、ただただ家のベッドで眠りたい一心だった。

10月の逃避行はそんないつもどおりのしょーもないエンディングでした。

虚構と幸福

□恋と退屈

先日、雑談の中でふと、恋人が欲しいんですけど、との相談を受けた。どうして、と聞くと周りの友人達に恋人ができて、それがとても幸せそうで、自分もそんな風になれたらな、と言うことだった。なんとも微笑ましい動機である(他意はない)。自身の体験を思い返してみると、これまで周囲に「恋愛によってしあわせでいられる」ことを表現している人間はあまりいなかったように思う。それが悪いとかいいとかではないのだけど、僕は自分が恋愛で幸せになれる人間だと思えない。今までだってそうだった。抱きしめ合えば安心できるし、キスをする前はドキドキした。でも、それははじめましての人でもさほど変わりはしないような気がした。むしろ、身体を重ね合うほどに相手に対する興味のようなものは着実に失せていったようにさえ思う。

「とりあえずセックスすればゲームのシナリオはクリアみたいな、ね。フルコンには程遠いのだけれど」

好きな人がいなかったわけではない。依存先をいくつも確保したがる僕らはいつだって誰かに恋をしていた。けれども、僕はきむらちゅゎんのように一途にはなれなかったし、好きな人には大抵僕よりもよほど条件の良いコイビトがいた。何度か告白したけれど、その度丁重にお断りされたこともあったし、こちらから会おうと声をかけても、返事をくれなくなってしまった人もいた。けれどそれはカタオモイと呼ぶことさえおこがましい様な、言ってしまえば、ただの、おきにいり。造形が美しかったり、こころが愛おしく思えるような、ただの素晴らしさ。素晴らしさとこんな僕自身が適切な関係を築けるとは思えない。だから好きな人とは恋愛関係にはなれないのだ。それでもいいと思ってきたし、それで十分だと思っていた。ただ、今は、

 

□ノンフィクションファンタジー

「シャイニーゲイって本当にいるんですかね」少し前に、こんな僕らが暮らしている国は日本です、みたいな話題が出た頃。さぁ。この世のどこかにはいるだろう、たぶん東京の中野とか、港区とか、わからないけど。「シャイニーゲイってどうやって生活してるんですかね」わからない、ホワイト企業に勤めて、ジムに通って、週末はホームパーティー、春はお花見をして、夏はバーベキュー、秋には旅行、冬にはクリスマスデート……。こんな感じだろうか、偏見まみれでまるで現実的な想像がつかない。でも、それって、幸せ?…………わからない。そも幸せとは極主観的なもので、外野がどうこう言いたがっても、当人たちが本当に幸福であるならそれは揺るがないものではないのか。そもそも、そんな実在するかどうかも怪しい人間たちの幸福なんて。僕が思い描く普通の生活がきっと実在し得ない様に「そんなものはない、そんなものがあるはずないだろう」と言いたい。シャイニーゲイはひとつの幻想なのだと思う。さして美しくもないファンタジーだ。

だけど、夏に何度もSNSで見かけた、バーベキュー、プール、海水浴場、夏フェス、なんかそんなん。楽しそうではある。わかってはいるのだ。アレは演出されたもので、彼らの日常が常にキラキラしているわけではないはずであることを。フレームで切り取られた、綺麗な部分だけ提示されているから輝いて見えるのであって、実際は、毎日は……みたいなことを考えてると病んじゃう。

出せなかった手紙

数年前に書いたと思しき、ある人へ向けた手紙を見つけた。

 

拝啓、Sちゃんのお母様へ

 

こんにちは。ご無沙汰しております。お元気でいらっしゃいますか。

突然こうして手紙などを書いてしまって、受け取られたお母様は困惑しているかもしれません。

私自身、ある種突発的な衝動で筆をとっています。今の気持ちを手紙にすることで、自分の感情を整理したいだけなのかもしれません、ひとりごとに付き合わせるようで心苦しいのですが、読んでいただけたら嬉しいです。

 

度々私が飼い犬の散歩をしている時に声をかけてくださったこと、嬉しかったです。

「元気にしている?」と気さくに話しかけてくれる人は、家族以外とは殆ど会話のない私の毎日の中で、とても貴重な存在でした。

ただ、その度にどうしても聞けないことがあって、手紙なら打ち明けられるだろうか、と、こうして下手な字で言葉にしてみることにしました。

 

「どうしても聞けなかったこと」というのは、Sちゃんのことについてです。

ご存知のように、中学を卒業後、私はSちゃんと同じ〇〇高校へ進学しました。同じ中学から3人進学した中で、私だけが違うクラスで、初めは心細かったのを覚えています。私は2学期から殆ど学校に行かなくなりましたが、時期を近くしてSちゃんも学校を休むことが増えた、とあとになって聞きました。私はもうその頃にはSちゃんと話すことはほぼなくなっていましたから、彼女がどうして学校に行けなくなってしまったのか、正直、今でもわからないのです。

ただ、卑怯者の私が気にかけているのは、Sちゃんが学校に行きづらくなってしまった原因のひとつに、私が関係しているのでないかということです。Sちゃんは私と違い、きちんと友達もできて、部活動も頑張ったいたように見えました。私が自身の精神疾患を理由にきちんと学校へ通うことを放棄したことで、Sちゃんは頑張ることをやめてしまったのではないか、と。それとも同じ中学から進学したというだけで、私が悪目立ちしていたことに巻き込まれてしまったのだろうか、とも。それがとても心苦しくて、ずっと聞けずにいました。

 

たぶん、私は、そんなことないよ、という言葉を期待しているのでしょうね。

でもどうしても、無関係とは思えなくて。日に日に薄れていく高校時代の、心残りのひとつです。

Sちゃんが学校を辞めてしまってから、時折漫画の貸し借りをして、会えることが本当は嬉しかったのです。ただ、ちゃっかり私は高校を卒業するまで続けてしまったので、(いろんな人の手助けがあってこそですが)Sちゃんは本当は会いたくないのだろうな、とどこかで思っていました。

 

今はSちゃんは静岡市でデザインの勉強をしている、といつか話してくださいましたね。

小学生の頃から、Sちゃんはとても絵が上手でした。私は羨ましかったです。学校中で嫌われている私とも絵のことで話をしてくれるSちゃんがとても好きでした。

Sちゃんが今、元気で過ごしている、らしい、ことが嬉しいです。

 

一部修正を加えてはいるが、おおよそこのような内容だった。結局この手紙を出せなかったのは、母親の検閲によって止められたせいなのだが、今では出さなくてよかったと思っている。母の言うところは「あまりに主観的すぎる」「本人たちでもう決着がついた問題を第三者が蒸し返すのは不躾にすぎる」とのことだった。

 

昨日、Sちゃんが夢に出てきた。どんな役付だったかは忘れてしまったけれど、目が覚めてからなんとなく悲しかった。

死神と鈍感

□7月11日に私の好きなシンガーソングライター、大森靖子ちゃんの新アルバムが発売された。タイトルは「クソカワPARTY」。

 実はこのCDを実際に手にして聴くまで、とても不安だった。いや、正直なところ、聴いてからも自分の中に落とし込むまで時間を要した。エイベックス式マーケティングの4形態発売、それぞれに書き下ろし弾き語り音源2曲収録、YouTubeにて先行公開の音源、そして前アルバムのキチガイア、前シングルdraw(A)drowのしっくりこない感じ、前月に発売されたエッセイ集?超歌手での自己誇大感、メジャーデビュー以降、キャラクター性が先行していることなどが主な不安材料だった。

 初めて通して聴いたときも、どうしよう、好きだと思える曲が2曲しかなかった……。と感じてしまった。そんなこのアルバムを好きにさせてくれたのはトニーくんとのLINEでの数日間にもわたるやりとりでした。

 私の感想としては、前半のサウンド面でのアニソンのようなチープさ、詞世界から他者の視点が消えてしまったこと、死の取り扱いがものすごく雑になってしまったこと。彼女の私生活的に、仕事と生活と子育てが中心になってしまって、聞きたくなくても入ってくる話題と言葉でいっぱいで、世間に目を向けたり、誰かの人生を想像したりという余裕がなくなってしまったのかもしれないと感じ、それがとても悲しかった。

 先述したように、トニーくんと対話していくなかで、作曲面ではかなりタイトに作り込まれていることや、今の大森靖子ちゃんの歌唱スタイルとして、これはアリなのではないか、また、アルバム全体の流れは前作よりはるかに良いこと、そして何より、変わりいけども大森靖子という人物の作品であること、これらを踏まえて改めて聴いてみると自然と好きになれた。

アルバムのInterludeをかざる死神という曲は以前から弾き語りで披露されていたものをバラード調にアレンジしたものだったが、好みは分かれると思うが、私はこのアルバムのアレンジがとてもいいと感じた。履歴書は全部嘘でした、という冒頭の一節がとても好きだ。

なにより、東京動画としてYouTubeにて配信されていた「東京と今日」、私の東京への憧れを封じたこころをかき乱すような歌詞だった。「僕はもう大人だから願い事は僕で始末をつけるのさ」。トニーくんもすきだといってくれた。私は自分の願い事に始末をつけられるだろうか。

 

□できればしたくない話をする、生産性とか差別とかその辺の話。以前の私はホモキモいと口に出す自由も認めろ、などと暴言を吐いたが、国の運営を担っている人間が公の場でそれをしては最悪殺されても文句は言えないと思う。生産性のないものに価値はない、なんてのは生産性を求める側の勝手な理屈だし、わたし無職で年金も貰ってて生産性で言えばマイナスもいいとこなので本当にしんどい。ヘテロセクシャルさんの見当違いなフォローも聞きたくないし、ホモの方々の生産性マウンティングを見ていると自分の無価値さに割腹したくなる。

差別についても同じで、自分がされたことがない、イコール、存在しない、では、ホモなんて会ったことない、イコール、テレビの中だけの存在、と思っているヘテロセクシャルと同じくらい想像力が欠如していると思うし、日本人は差別に寛容だなんて思ったことない、ただ鈍感なだけ。無自覚で暴力的、相当タチが悪い。

ニポンワモウダミデス。。。

熱射と虚無

□夏が暑すぎるせいで、何もできない毎日がただただ僕の身体とこころを老化させている。時間が経つのは相変わらず怖い、だって僕はまだ何もしていないし、出来ていないし、このまま終わることだけが現実味を帯びてきている。夏は苦手だ、どうしたって。たとえ猛暑でなくとも、僕はあんな風にキラキラできない。あんな風てのは別に誰のことでもなくて、いつものように僕の頭の中にいる仮想敵なのだろうけれど、夏を楽しむ才能は僕にはない。にしても、今年の暑さは耐え難いものがある。生活支援センターのおばちゃんが「昭和の夏はこんなに暑くなかったよ」と何度も何度も繰り返していた。父は「世界の終わりが近いのかもしれない」などと少々オカルティックなことを言っていたけれど、世界、終わるならもっとドラマチックに終わってくれないかな。

 さて、8月だ。

 

□どうにも居場所を亡くしたままの僕は、女子大生として生きることでホモの毒から逃げ出そうとした。(なぜか、ホモの方々にはバレバレだったのだけど)同じTwitterで同じようなことを呟いても、ホモの方々よりもメンタルがアレな異性愛者のほうが反応がいい。やはり自分はホモである前に人間として不十分なのだな、と再認した。などと考えていたら、そこでオイモボーイと運命的な再会を果たすのであった。勝手に運命ぶっているだけだけど、うれしかったので許してほしい。ホモの方々との交流が薄くなるにつれて、僕の内なるhomophobiaはなりをひそめていった。もうお気に入りのあの子のことさえ、どう過ごしているか知らない。今はそれでいいともおもう。

 

□就労支援を辞めてから、日中の過ごし方がめちゃくちゃになっている。主治医に頼んで眠剤を増やしてもらったら、意識を保っていられる時間がどんどん短くなってしまった。このままじゃ嫌だと言う恐怖と、何も考えたくないという逃避の間で、精神薬を飲んだり飲まなかったりしている。じぶんになにもないことがこわい。絵も描けない、歌もうたえない、文章も書けない、ギターも弾けない、何より生活ができない。そんな自分とまともに向き合うことがとうとうできなくなってしまった。やる気がないのがこんなにも怖い。生まれ持ってのものなのか、薬のせいなのかわからないけれど、やはり自分にはなにかを成すことはできないようだ。それを忘れるために必死になって眠る。数ヶ月前はそれでもいいと思えていたけれど、こんな自分じゃどうしようもない。何者かになりたかった頃と似た焦燥感がまた僕を追い詰め始めた。仕事ができないなら、せめて、なにかひとつくらいできてもいいのに、な。逃避のためのツールも、読んでいない漫画とクリアしていないゲームと、たくさんあるのに手が伸びないのだ。夏のせいにしようにも限界がある。結局のところ、僕は僕を認められない。愛してあげられないから、からっぽな自分を守ろうと攻撃的になってしまう。お得意の自己愛性PDである。可哀想に。

 

□きっとめのちゃんはすごい人になるぞ、という予感がしている。既に一線を画した人物ではあるのだが。今は素直に応援している。何の他意もなく、彼のこれからがうまくいくといいと思う。

堕落と平穏

就労支援が打ち切りになった。当然、双方合意の上だけど。四月末くらいからずっと精神面での体調が悪く、イライラしたり落ち込んだりキレたり無気力になったりを繰り返していたので、就労支援にもろくすっぽ行かず、1週間丸々休んでしまったりしていた。オマケにアコギを実家に取りに戻ったりしたので、なんだかもう働くつもりがないものとして解釈されてしまったようだ。結局は理想自己と現実自己がかけ離れたところにいることでいつもイライラしている、と話した。では理想の自分とはなんだろうか、となり、東京?弾き語りシンガーソングライター?売れっ子同人作家?まあなんでもいいんだけど、その理想に近づくための努力を一切してこなかったので、そりゃあ身の程知らずな人間に見えただろう。まあシンプルに身の程知らずなんだけども。努力ができないことを環境や疾患のせいにしてきたけど、根底にある自身の怠惰さはどう取り繕っても隠せない。ぶっちゃけ、ぶっちゃけた話でもないけど、社会に適応したサラリーマンなんてなりたくないもの。芸術家になりたかったなあ、なんて言っていいのはきちんと生活を営んでる人だけよねきっと。で、カウンセラーに本当に好きなことってありますか?みたいなことをとわれて、空調の効いた部屋でゴロゴロしながら漫画を読むことですかね〜〜なんて言ったら、コイツはダメだ、みたいな顔をされた。絵を描いたり音楽聞いたりするのが好きでしたよね?と聞かれたけど正直よくわかんなくなってた。もう別にいいや、と希望と理想を放棄したら、なんだかいちいち腹を立てたりしているのがバカらしくなってきた。で、今はとても楽です。TRPもNLGR?もなくてもたまにゲイバー行って、たまに男に抱かれてれば十分ゲイだし、ゲイだからなにかクリエイティブなことしなきゃいけないなんて誰も言ってない気がしてきた。ツイッターもわざわざアカウント消す必要がないくらいどっちでもよくなってしまった。東京行ってもしあわせになんてなれないでしょうどうせ。今のままでいいや。相変わらずお金はないけど、煙草を買うくらいの贅沢ができればいいのよもう。エアコンが幸せなのだよきっと。

 

5月の12日、忘れたくないなって思ったことがあって、たまたま9monで知り合ったぶたきのくんが通話しながら弾いてくれた僕の好きなうた(呪いは水色、すごい速さで、あと数曲)、あれは夢だと思いました。希望みたいなキラキラした光だと思いました。でもそれは世界から僕に告げられたさよならのようで、死ぬのが相応わしいと感じさせられちゃったから、できるだけ生きて、あとはなるべくはやく死にたいなあ。

焦燥と怠惰

 煙草の吸い過ぎで二度目の変声期を迎えた春、両親の手によるモチベーションブレイクを受けている。カネなんすよ、要は。カネがないからつまんないし、日常を維持するのも大変なんすよ。カネが湧いて出るような環境だったら抑鬱だってよくなるってアメリカの研究でわかってるんですよ。でもしょうがないよね、無職なんだもん。両親から仕送りをもらえるだけマシだって言わなきゃなんないんでしょ、でもあんな両親じゃなかったらこんなポンコツメンヘラクソ野郎に育ってないと思うんだよな。親が悪いって言葉はどうしようもなくダサいね。社会が悪いちゃん。

 

はやく真人間になりたくて、いや、はやく自分の労働で得た賃金で生活をしたくて、就労支援に通っているけれどもう既にイヤになっている。働きたくないし、働くための練習ですらイヤになっている。おんなじことの繰り返し、賃金発生しないですしアレ。もう何もしたくないし、GWも何処へも行けなさそうだからずっと豪雨が降りしきればいいのにと願っているけれど大抵は晴天で腹たつなホント。このまま眠ったまま起きなければいいと思いながら毎日布団に入っている。ツマラナイ日常です、空虚だし虚無です。このままじゃいけないんだろうけど、このままじゃだめなんだろうけど、不確定な未来に希望よりも多く絶望を見出してしまう。死にたいって言葉は心のこんなに苦しいところから出てくるのにどうしてこんなにダサいの、誰が死にたいをダサくしたの。イトウヒロキ?

 

わたしの夢はきちんと就労支援に通って、きちんと労働をして、きちんと収入を得て、コツコツと貯金をして、いつか東京に移り住むことです」なんて言ってた数ヶ月前の自分がだいぶ哀れ。せめてゲイじゃなかったら地元とか静岡に残っても良かったのかもしれないけれど、ここにはなにもない。クソつまらんのはおそらくここが東京じゃないから、ではなくて、僕が僕である以上、どこにいてもつまんねぇしどこにいても虚無なんだろうね。ギターがひけたら、漫画が描けたら、って、何年も何年も口にしてるけど一向に叶う気配がないのは、つまるところ、僕が僕だからなんだろうね。ああ、惨めだなぁ。

 

親が死んだらどうするつもり?と妹にきかれた。収入面でのことだろう。カネがなくなれば大抵の人は死ぬし、僕も死ぬんじゃないでしょうか。きっと何も成せずに、何者にもなれずに、怠惰な人間としてフツーに死ぬんじゃないですかね。いやしらんけど。でもそんなんだったらそろそろ見切りつけて死んでもいいかなって思っている今日この頃でした。世界人類が幸福でありますように。