才能ない脳

かわいい自分を演出するためだったのにいつのまにやらゲボの掃き溜め

□最近のカップ麺はうまい

 さくらがさいている。ことしはこのはながちるまで、だれかといっしょにながめることもないだろう。

 

 僕がいいな、と感じるような才能がある人は自己表現をする。当たり前の話だけど、それは表現するから僕まで届く、見えている。なら、僕も表現を、ああ、と気づく。表現するためのスキルがないだけではない。僕には、表現するような自己はないのだ。

 (遅いよ、気がつくのが)

 

 高校生だった頃からずっと思っていたことがある。僕が精神の不全や発達のバランスの不揃いさ含め、人間の出来損ないであるとするなら、きっとゲイですらいられてはない。最初から同じステージに立っていないのだ。だから恋も生活も、自分には難しい。

 (でもそれってセルフハンディキャッピングじゃないの)

 

 3月末、恋人に別れを切り出した。2人の間に恋愛感情はもうないけれど、もう少し一緒にいようかということになった。これからは恋人をもっと頼ろうと思った。利用するのではなく、きちんと頼れたならいい。いつかパートナーと呼べるようになりたい。

 (身の程知らずな欲望ばかりだね)

 

 言い訳くらいさせてくれ。