才能ない脳

かわいい自分を演出するためだったのにいつのまにやらゲボの掃き溜め

窓の向こうでは骨が揺れてる

 ブログを放置しすぎてしまった。元屋敷しもべ妖精が実家に帰ったあとのことを下書きに入れたままでいたが、その時の感情も論理も今の自分ではよくわからないものになってしまったのでもう今後公開されることはないでしょう。第一部 完。

 twitterのしすぎで本当に長文が書けなくなってしまった。以前も同じようなことを30回くらい言っていた気がする(誇張ではなく)のでいよいよ真実味が増してきた。ただブログを書かないことでメリットもあって、ひとつは自分自身のおわりっぷりを見つめる回数が、時間が、確実に減ったということ。もうひとつは言葉で固定してしまった惨めさや苦しさを何度も反復しなくて済んだ、ということ。これは浸っている、という快感を得る娯楽でもあるのだけど。

 生活の中から他人がいなくなった、フォロワーも、なんだかおもしろAIみたい。もう言葉を伝えたい相手がトニちゃんくらいしかいないことに気づいてからは「LINEでよくね?」になってしまった。愛しているよ、トニちゃん。(トニちゃんと書いてマイフレンドと読む)

 わたしあなたがどんな人間か知らない、って感じの人のこと、いちいちヒスる理由にもならないよ。でもすきフォロワーのことはちゃんとAIじゃねんだなっておもう瞬間がたびたびあって、ふとしたときに生活があって、住むところがあって、愛する人がいたりいなかったりして、ァ…人間なんだなっておもってお脳さんが軋む(処理能力が低いので)。

 

 限界異常独身男性同性愛者ツラちゃん(29)といえば順調に終わっています。ええ、安心のおわりっぷりです。今年度で父親が定年なので次の夏にはあんなに嫌悪していた生活保護受給者とかになってそう。昔ほど嫌じゃなくなったのが尚更おわりみ。

 なんか前にも書いた気がするんですけどセンシティブだからと言って特別優れているわけじゃなくて、繊細さや過敏さはなにか(勿論、群衆総員にとって、ではなくていいんですけど)他人にとって有益なカタチでアウトプットされてはじめて価値を得ると思うんですよね。本人にとって生きづらさに繋がるとしたら、過敏さは害でしかないでつよね~~って自分の脆さをダサいと嗤うことしかできず。だから僕は表現者になりたかった。何者か、なんて他者依存の承認なんて本当は要らなかったのに、そんなことにさえ気が付かないほどからっぽな自分しかいないんですもの。あーあ。

 精神科医にすっかり「ただのわがままな健常者」として扱われるようになって、もう薬出してくれるならそれでいいやって思ってますけど、それなら1回の受診で半日潰れるあの待ち時間どうにかしてほしい。

 未来のこと考えるとゆっくり頭が痛くなって、重くなって、布団をかぶるしかなくなる。そうしてられるうちはそうやって逃げてたらいいよ、いつかfatel for meがくるときまで。でも布団かぶってたら気づけないかもね。

 

 これも前に書いたことと重複するかもしれないし、もしかしたら矛盾するかもしれないけど、世界を閉じて、わたしとあなた(大抵トニちゃん)のルールの中で生きていると、同性愛者の権利とか暮らしやすい社会をとかゲイとしてしあわせになるための方略とかどんどんどうでもよくなってくるし、今はあんまりいいこと言えないと思う。かといって率先して他人の粗探しして叩くほどの興味もあんましなくて、よく言えばこれがぼくのしあわせの限界高。

 カミングアウトうんぬんの話、ホモは好きだよね。でも自分が世界の、万人にとっての主人公だと思っているうちはしない方がいいと思う。稚拙が過ぎる。

 死ぬときはみんなひとりだということにまだ救われています。もうすぐ30歳、もうすぐ無敵の人、いつか怪物になって人の世に仇を為すかもしれません。そのときも、花束が胸にあった日々を思い出せますように。ネオ・祈り。

 ァ……これ、ドライフラ……

 

 ぼく自身について考えるとこんな風にバチクソバッドエンドしか思いつかないわけなのですが、ブログを書いていない期間はもっとふんわり逃避できていました。なんならフィクションや他者の創作物に対して、自身を重ねることなく、もう少し純粋に楽しめていたように思います。興味ないことに対しても自覚的に無視できていたというか。

 たとえばラブソングみたいなの、この歌私のことうた……ってないじゃん!!!!!怒!!!!!みたいのからは解放されてましたね。

 結局こういうゲボみたいな自慰でしか文章書けないんだなっておもうと、浅さと薄さにゲンナリしまちゅわ。意識的に自己憐憫に浸りたくなったらまたなんか書くと思います、しばしお付き合いくださいましね。

やっぱバカからは発言権奪った方がいいよ、ゴミだもん、それに纏わるもの全て。これはもう二度とわたし自身の内臓を出さないと誓ったホモ共のSNSで思い知ったこと。もう何度目か。ホモってだけで仲良くはできないよ、だって別の生き物だもの。わたしが信じているのはトニちゃんのきらめきとあなたのざわめきくらいだよ。

 

愛しているよ、マイフレンド。

□愛をください、もらってもすぐに飽きてしまうけど

他人の気持ち、マジでわからない。ADHDが自分が思っていたよりもずっと重い拳で人生の邪魔をしてくる、発達障害が言い訳にしか聞こえないひとはもうちょっとお勉強するかわたしを視界から外してください。部屋が本気でクソ汚い、感覚過敏もいらない場面でばかり不快な刺激を拾ってきてくださる、何をしようとしても習慣化できないし、日本語が言葉のサラダだし会話もうまくできない。例のごとく死に焦がれているのは暑さのせいだけじゃなくて、本当に死ぬしかないところまでもう少しって感じだからです。この先ずっと働けないような気がしてくるし、労働はわたしの生きがいにはなりえない。たった5分間の気分さえコントロールできない、すきなことなんてなにもないような気がしてくる、空虚でただただやるせない、なにもなさすぎて涙が出てくる。残ったのは攻撃性と精神疾患に依存した歪なアイデンティティだけ。こんな自分の愛し方をわたしは知らない。

 

お米とがなきゃ、お風呂入らなきゃ、新しい曲を聞かなくちゃ、何もできない、降り続ける雨のせいにして今夜はおやすみ。

□路上の弾き語りシンガーに惚れてライブハウスに行ったら死にたくなった

素晴らしいものをみて心が震える瞬間のために生きていたい。リョウくんはとてもかわいい、僕と同じ年齢の男の子だった。仕事は鳶をしているという。アトピーなのか、ガサガサの腕がいとおしかった。爽やかな、バンドのボーカルみたいな歌声で、VOIDを歌ってくれた。僕一人のためのVOIDだった。

豪雨と侵攻

□I hate summer,and your happiness.

なんにもできない夏がまた来るね、僕はどうせ何もしないです。予定がないからね、ないからね。ただただ暑さに辟易しながら時間が過ぎるのを待っています。そうしてまた少しずつ死んでゆく、僕らのからだが老けてゆく。夏ヘスがなくなって泣けるような人間になりたかったわぁ、自分の世界にないシアワセが喪われたとて笑うような人間ではないけど、少なくとも性格が悪い。

 

□東京だった・ら

人生と東京を混同しないでね、ってイマフレのトニちゃんに諭された。トニちゃんは僕よりずっと賢くて俯瞰でものを見れる素晴らしいイマフレなので、きっと彼のいうことが僕の鬱屈した感情よりも正しいのだろう。とはいえ、東京の人間関係にはどうやったって入れないし、かといって地方で楽しくやれるほどのポテンシャルもない、○○クンさぁ、せっかく首都圏に住んでるんだから保身に走ってないで楽しそうなことやってみたらいいじゃん、って出そうになった言葉を口に戻した。どうせニートなら時間あるんだしいろいろやってみればいいじゃん、って言われたときとおんなじあじがした、苦かった。オエーッ!

さみしい、性がしたい、さみしい。ここが東京だったらコ□ナなんて恐れずにベアのキャンに行ってたでしょうけど、ここが東京だったらもっととっくにサクサク淘汰されて死んでたでしょうからもしもの話には意味がない、全く意味がない!東京だったらあんたなんか要らなかったのにとは思う。

こないだマッチングアプリで古田島拓也(27)がでてきてビックリしてスマホ投げちゃった、即ブロ。ついでみたいに勝手に思い出すゲボみたいな昔の話、たいろくんとかいうなんか背の低いホモの誕生日パーティーの集合写真の画像、フラッシュバック!全員嫌い。今はすっかりおめーらもたいがい根性腐ってるからな、まともぶるのもたいがいにしとけよって言い返せるからどうでもいいのにね、そんな昔の話で更新が止まってる僕の殺すぞ.com♬どんどこさまのセクシービーム(そんなものはない)でもアプデできないくらいなんもない。どうせ人間相手にはうまくやれるわけないんだから何も期待しないほうが利口なんですよね、たぶん。

こないだ埼玉から同い年の男の子がわざわざ一晩の性のために静岡まで遊びにきたけど、話せば話すほどベットしたもの(金とか)が少なく済んでよかったなと思いました。どれだけはらわた掻っ捌いて内臓を見せても、それが汚いことにすら関心がない人もいるのだと思い出した、元カレがそうだった、わかったような顔して興味がないだけ。自分に利害がなければどうでもいいのよね、知ってた。

結局僕は東京に何を求めてんだ、人間をゴミのように、まるで価値がない、いくらでも代わりがいる愛玩生物のように扱っても許される環境かしらね、そんな人間がさみしいのは当たり前だよって思わないでもない。わかってほしいなんてダサいこと言ってないじゃん、そんなのハナから期待してないんだよ。ホモがみんな見た目に騙されるバカばっかでいつも助かってます。こんなどうしようもないグズグズのゴミにも性の機会があるのですから。

だれにも言わないでねって言われたことを話すような相手がいない。ここに書くようなことでもない。けどあんたのシアワセにかすり傷くらいはつけてやりたいよ。やるせない。

 

□スシボが本当に嫌い

嫌いなら見なければいいじゃん、はい、そうですね。

 

□な・ら人生は

人生が本当にダメ。場所なし足なし居場所なし、加えて金なし職なし持病あり。足りないものより今持っている素敵なものに目を向けようとか言ってくるやつ、たいてい人生何とかなってる説。足りないもんは足りないんだよ、欠損。もっとわかりやすく腕とか脚とかなかったらよかったんですか?こんなものは売り言葉に買い言葉みたいなものだけど。就労移行もうまくいかないしうまくいったとしてきっとシアワセからは程遠いところにいるんでしょ。はよしにてぇなぁ、な?

 

□夏は死体がはやく腐る

髪の毛食べちゃうメンヘラティーンズの死ぬ前に最後にお茶した人間になろうと画策してるけど、ほんとに死ぬのか、お前は死ぬのか。いいな。達者でな。

お前もさみしかっただろう、本当のところは誰にも、無論僕にも、わかってもらうことなんてできずに、どれだけ言葉を尽くしてもおんなじ人間にはなれない、お前のその苦しさも悲しみも痛みも恋も、お前はひとりで抱えて死ぬんだな。

きらいなもの:じぶん、賢そうに振る舞う馬鹿、頭悪そうなことしか言わない高偏差値、安直な類型論、無知による関連付け、自身の善性を過信している凡庸、父親、エトセトラエトセトラ、たぶんこの世の美しくないものほとんどすべて。

 

今日の絶望:もう30手前で代謝が落ちていること。たびたび生活ってなんでお金かかるの、つまらないのに、という話をしているが、それらつまらない生活のランニングコストさえも僕が労働して得た金では構成されていない、両親に依存しているということ。母親ですら僕の疾患について歪んだ理解しかできていない、あまり触れられてこなかったけれどADHDがあることや、気分障害双極性障害Ⅱ型がなんなのか、前主治医に否定された統合失調についてのこと。あんたが普通に働いてたらもっと暮らしに余裕ができただろうし貯蓄だってできた、という、もし発言の主体が父親だったら確実に殺害していたであろう暴力性を含んだ発言を朗らかにのたまったこと。流行り病と気分本位な生活のせいで就労移行支援事業所を利用しても就職ができないということ、及び、それに付随して実家に帰らなくてはならなくなる未来のひとつが現実味を帯びてきたこと。松下さんに支持者がいること(理解者ではないことがせめてもの慰め)。信岡さんが醜悪で恥知らずなこと。たぶんこんな気持ちもしばらくしたら忘れるということ。

修羅と荒野

◽︎春の嵐

特になにも、ほんとうに、特になにか言葉に残しておきたいようなことがあるわけじゃなくて、ただ日々とは、LIFEとは、人生とは、そんななんの特別さもない1日にこそあるんじゃないかな、なんておもうわけです。祈り。

流行り病のせいで色々とおかしな世の中になっていますが、どうか皆様の暮らしが、日々が、人生が、損なわれても、つらい思いをすることになっても、続きますように、続いていきますように。そしていつか、また怯えずに、笑って暮らせるようになることを願っています。

 

◽︎2020年4月1日

今日は記念日です、僕ではなく、ほかの誰かにとっての。

僕がよく使う出会い系アプリには「人気ユーザー」という機能があって、その日1日、ログインするたびに人気だと判断された幾人かのユーザーのリストが表示されます。今日はそのリストの中に、前にずいぶんと優しい言葉をかけてくれた知人を見かけたので、メッセージを送ってみました。やりとりのなかで、「はじめての人気ユーザーだから、記念日だね」と僕が送ると、彼は、彼にとっては特別であろう話をしてくれました。

今日から全国の13の自治体で「同性パートナーシップ制度」が導入されました。今日、彼の兄とその恋人はさいたま市で、正式にパートナーだと認められたのだそうです。「だから、記念日、いろんな意味でね」なんて言うから、僕は少し、なんとなく、嬉しいな、とおもいました。彼がそういった制度を国や自治体に認めてもらうための活動をしていたことは知ったいましたから、彼にとっても夢がひとつ、叶ったことになるはずです。ああ、うつくしいものをみた。

 

◽︎愛は、

僕はといえば、昨年末から同棲していた恋人と、先日、正式に別れることにしました。けれど、すぐに出ていけとも言えない経済状況なので、もうしばらくはこの狭い部屋で2人で暮らすことになりそう。

インターネット恋愛から、熊本で仕事を辞めようとしていた彼を静岡に呼んで、クリスマスイブに間に合うように高速を飛ばしてきた彼と、そのままここで暮らし始めてからの3ヶ月間、手放しで楽しかったとは言えないかもしれないけれど、あの、なんていうか、たぶん、忘れたりしないよ。

やっぱり僕は愛とか恋とかで総て赦されるほど綺麗には生きてこれなかったけれど、でも、しあわせだとおもう日もあったし、愛は、在るだけのもので、過程のなかでは気付けないようなものだったけれど、結果としてここにに残るものがあるなら、きっとそれが、

憐憫と断絶

◽︎いつまでも変われないのに終わりはあるんだね

 デニーズに来ないとブログが書けない病気になってしまった。今日は林檎のパフェ(キャラメル林檎のザ・サンデー)を食べながらこの記事を書いている。図書館でも自室でも、なぜだか落ち着かない。自室でも落ち着かないというのは、いや、どうなんだろう、本当は、本当なら、自分の部屋を楽園にしたかった、マイルーム・マイステージ。泉まくらのアルバムのタイトルだ。このところよく聴いている、フォロワに教えられたから。泉まくら、といえば、ぶたきのちゃんの家に泊まりに行ったときに「眠る前には泉まくらを聴かないと眠れない」と言っていたことをぼんやり思い出す、そして幾人かのわからなかったひとたちのことを、想う。けれどそれらはいつだって本題ではない。ていうか本題なんてない、自分を、言いたかったことも、大抵はすぐに忘れて、見失う。目先の感情と主観による独善で生きている。生きている、言葉にすると不思議だ、死は救済だと思うこともだいぶ減った。生きている、たぶん、もうしばらくは。

 

◽︎コミュニティを捨てよ、そして生活へ

 DUBPOPNITEに行かなかった、あの夜、あんなに素敵な夜はもうこないと思っていて、楽しみ方がわからなくなっていたので。今日は大森靖子ナイトがあるらしいけれど、情報を得るのが遅かったので行けない、悔しい。

 twitterのゲイアカウントを消したり、また作ったりを繰り返しているうちに、人間関係がブツブツと切れた、もとより、インターネットの人脈みたいなものを信じられなくなっていたこともあり、敢えて繋ごうとはしなかった。それでも出会い系アプリは続けていて、なんなんだろ、とも思う。ゲイでいたい自分と、もうそんなもの(ゲイコミュニティ)に関わりたくない自分とがいて、今はわりとどうでもいい。エモか性欲しかない、と、たしか少し前に言っていた気もするけど、今は暇潰しと性欲が殆どを占めている。エモについてはもっと素敵な空想を知った。精神疾患を認めない多様性さんたちのなかでクソおもしろくない道化ごっこをするよりも、それぞれ違う息苦しさとおんなじさびしさをもったひとりぼっちの群れの中でボヤボヤ意味のない女子大生ごっこをする方がよほど気分がいいんだもの。東京へ焦がれることも次第に少なくなり、今はのっぺりとへばりつくやるせなさをどう取り繕って茶化そうか思案している。

 

◽︎わかってくれるひとにしかつたわらないじゃないですか、わかってくれないひとにわかってもらおうと期待するのも変な話だし

 僕が今通っている就労移行支援事業所にひとりゲイがいる。仲良くはない。彼は自身が障害者向け福祉サービスを利用していることに対してあまりに自覚がない、と感じるほど、所謂「意識が高い」振る舞いを見せている。発言と行動が伴っていないので、滑稽に映る。彼のtwitterはフォロワーが多く、ツイッターアイドルのつもりでいるようだ。あまり視界に入れたくない。自己肯定感が死んでいるのに自己愛と自尊心が肥え太ったバケモノみたいだ。かまってちゃんかつ察してちゃんなのでとてもダサい。あなたが私たちを軽く見ている以上にわたしもあなたを軽蔑していますよって言いたい。出会い系アプリでは先制ブロックされているのだけれど、ツメが甘いのでtwitterのアカウントは筒抜けである。ときどきアホほど病むのでそこだけは面白い、コンテンツとして。あと目が死んでる。

 

◽︎ツラちゃんの『愛だの恋だのでしあわせになれる(だけの人間性がまだ残っている)か?!』チャレンジ

 どんどこさまはかみさまで、ぴちゅんはごしゅじんで、そめたんは推しカプで、たいちゃんはかわいこちゃん。もうそれくらいの希望、すきなひと、残ってる恋もどき。トニちゃんはいつだってわかってくれるマイフレンドで、きむらちゅゎんはどんなにまちがっていてもずっと絶対で、もうあとのひとはどこかで元気でやってくれてたらいい。かつての恋人たちには未練はないけど、たまにふと恨み言を言いたくなるときがある。バカにしてきたヤツらは全然今でもブチ殺したい。(でもすぐ忘れる)通り過ぎていった人々も、それに纏わるエピソードも、グッチャグチャの感情も、なんだったんだろう。だけど、みんなどっかで息していてよ。そんで僕のことをもし思い出すことがあれば、苦い顔をあなたがしてないといい。

 これからの日々が、毎日が、花咲くみたいに彩られて、いつかくる終わりのそのときも、大きな花束が胸にありますように。愛しているよ、赤の他人なままのマイフレンド。

 ※これは祈りです、不安しかない、これからのための

 

◽︎Youth

 もう若くはないのだろうけど、懐かしく思うような若さは僕にはなかった。経験できなかった。これは17才が人生のピークだと思っていた20才の自分とおんなじ感傷だとおもう。後悔はしていない、反省は生来できない性分だ。生活が続いていく、身体が老けてゆく。残せるものなどなにもない、どうにか自分を正当化したくて足掻いていたことも、ちゃんと覚えている。何者にもなれなかったけれど、なんの価値もない人生だったけれど、生きている、生きているが続く。

執着と破産

◽︎脆弱な、自/我/境/界

何度も何度も、同じ話で申し訳ないとはおもっているんだ。だけど、ツラちゃん、聞いておくれよ、きみは知っているだろうけど、僕はとてもダメなんだ。次の2月で28になる、なにも状況はよくなっちゃいない、むしろ行き詰まる一方だ。どんどん願ったものからは遠ざかり、まともだとかふつうだとか、もう一生縁がないような気持ちになるんだよ。惨めだ。ねえツラちゃん。どうしてだろう。僕はもうシンガーソングライターになりたいだとか、同人作家になりたいだとか、愛だの恋だのでしあわせになりたいなんて、そんな希望も歯を食いしばって切り捨てたのに。どうしてこのなんの面白味もない生活を維持することすら叶わないんだろう。それが精神障害者に科せられた、定められた末路なのだろうか、だとしたら、ああ、だけど、だとしても、社会を恨むよりも、僕はどうしても自分を憎まずにはいられないよ。ツラちゃん、僕はどうしてこんなことになったんだろう、どうすればよかったんだろう。ツラちゃん、道行く人にいちいち劣等感を覚えて、まともに目も合わせられずに死を想うのは、もう嫌なんだよ。

……近いうちに、実家に帰るよ。あの街には何もない、ここよりもずっと終わっている場所なんだ。インターネットだけが本当で、あとはただただ終身刑と変わりのない日々だよ。そうなれば、もうなにもいらないし、なにも望んではいけないのだろうね。そしていつか、きみが話していた孤独なキモいオッサンに、僕もなるんだ。

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お金の話はあまりしたくない、だってダサいから。なにがダサいってこの歳で親の収入で暮らしていること、でもそんな生活も当然長くは続かなくて、もうじき終わりそうです。父親が自己破産をしろとうるさい、ので、■んで欲しい、きらい。家族の話もあまりしたくない、一見するとなんの問題もないようにみえるだろうから、こんなにも歪んでいるのに、伝わらないから。先日は父親と電話で酷い口論になった。仏壇燃やしたときと何も変っちゃいない、クソな僕、クソな父親、的外れな母親、行き詰まり。2年前に障害年金の一時金のうち250万を母親に預けたところ、仏壇を買い直した金に充当した、と聞かされたときに感じた憤り、え、僕が間違ってるんですか?だって、僕はそんなもの少しも欲しくはなかったのに。オマエ今みたいな生活してたら一生自立なんてできないよ、って言われました、あたまのどっかでその通りだと思いながら、どうやってこいつを苦しめてやろうかななんて考えていました。なんで生活ってお金かかるの、楽しくないのに、望んでないのに。もうひとつ聞いていい?死ぬこと以外にこの生活を終わらせる方法ってあるの?

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ワイドショーが嫌いだった、たぶん、物心ついたときから。自分が世間一般でいう、普通から外れていると感じたときから。いつか自分の卒業文集に書いた作文が、リポーターだか司会者だかの口から読み上げられるのだと信じて疑わなかった。確信があった。

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“真実の愛” は、たびたび空想上の物語において、あらゆる呪いに対する特効薬として用いられる。しかしながら、我々が生きている世界とは尺度の異なる座標にあるため、我々は“真実の愛”そのものに出会うことはない。どれほど幸運な人間だとしても、触れられるのは“真実の愛”がこの世界に落とした影のようなものだけである。

よって、我々にかけられた呪いが解けることはない。つまり、我々の人生は、肯定されることも、許されることもない。

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……好きな、ひとがいたんです。たぶん、ですけど。あの、なんていうか……ホモの恋って、どう取り繕っても少女のそれのようには美しくなれなくて、すこし、さみしい、ですね。だって、そのひとと知り合ったのも、出会い系アプリなんですよ、もうイントロから間違ってるじゃないですか、でもそれしかないんですよね、偶然だとか運命だとか……そんなの、縁が、なかった、なぁ。

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ただ なにもない まっしろな りかい

橙色と曇空

◽︎Tiny Bird

そこそこ高いヘッドフォンがぶっ壊れた、ブツリ、と、左耳からしか音楽が聴こえなくなった、おそらくは雑に扱っていたから、ADHDにありがちなカバンがパンパンになるまでモノを詰め込んでしまう、過程で内部の配線が切れたとかそんな感じなんだろうな、どうでもいいけど、どうでもいいけどさぁ、腹立つんですよね、おれのこと無視する元カレも、ブサイクなくせにそこそこちやほやされて調子に乗ってるアレも、出会ってすぐに好きとか言えちゃう幼さも、有識者ぶってる有象無象も、ポッドキャスターも、オシャレ番長も、音楽博士も、深淵の向こうから高みの見物だけしてればいいのに触手をのばして自身の領地を拡張している邪神様も、なんの話?

 

◽︎Re:Re:Love

O森靖子が嫌いとか言ってるメンヘラはそもそも自分しか好きじゃないんでしょ、とっくのむかしにわかってたことでしょ、ねぇ、そんな自分さえちゃんと愛してあげられないんでしょ、自分がいちばんかわいくていちばんかわいそうなんでしょ、だから自分と違う他人の存在するスペースを許せないんでしょ、知ってる、あたしもおんなじだから、ね、素直になっちゃいなよ、音楽なんて別に好きじゃないでしょ、お手軽な救済が欲しかっただけでしょ、わかってくれないわかってくれない、ノスタルジックK-POP(ハングル)、でも戦慄かなのはガキ臭いので好きじゃないでーす、で、なんの話?

愛を履き違えたせいではないよ、きみとぼくとあの子と大森靖子は別々の生き物だってだけの話だよ。フツウのしあわせまもるの、もうやめて、

 

◽︎Summer Gate

夏は嫌い、暑いので、もう来なくていいよ、って毎年言っているのに、そういえば、昨日、今年初めて花火を見ました、蝉が死んでるのを見てエヴァンゲリオンの最終話を思い出したりしました、生きるのがイヤになりました、もしもこれから奇跡みたいなことが起きて、僕の人生の怠惰を総て赦してくれるなら、僕の無意味を総て肯定してくれるなら、そんなことを期待することに酷く疲れ果ててしまいました、死にてぇんだよ、クソが代、ったって死ねるわけじゃない、今もまだ胃が痛い、死にたいは死ぬのが苦痛ではないという意味ではないように、なにもしたくないはなにもしないのが苦痛というわけではないんだそうで、なにもしできないままクソみたいなジジィになって死ぬ、生活保護でゲェバァに来てるあのオヤジを市役所にチクらないのはあれがいつかの自分に見えるから、駅前の地下通路の端でシケモクをフカしてるあのホームレスを蹴り殺したいのはそれがいつかの自分に見えるから、ねぇ、僕等どうしたらよかったんだろう、ねぇ、これから____になれる希望はあるのかい?

twitter見てなくて本当によかった〜2019 summer edit.〜 feat.honey Δ

 

◽︎Over The Heat Treatment

処暑を過ぎて思うこと、無理にでも夏至に死んどきゃよかったな、そこが芦花公園でなくても、そこになんのドラマチックさも、美しさもなくても、カウンセラーに理想が高すぎて生きづらさを感じていると言われ、家に帰ってヴォイ泣きしたけど、理想もなにも、人として軸がぶれている、というより、人として軸がない、し、これからをマジメに考えるためのモデルケースがないので、理想とするものの核がないんです、どこにも、だから、どうやって生きたらいいのか本当にわからないんです、シンガーソングライターにも同人作家にも、小学生の作文レベルの夢しかなくて、自分ができる範囲でなりたいものが思いつかないんです、だれかどうやって息をするのが正解だったか教えて、そしてこれからどうやって息をし続ければいいのか教えてよ、具体的にはホモのくせに統合失調感情障害もしくは双極性障害精神障害福祉手帳持ち(2級が望ましい)で20代まで定職に就いたことがなくて東京なんて関係なくて音楽的素養もなくてアニメやゲームの非現実に没頭してるわけでもなくて実家が太いわけでもないのにそれなりにまともに社会に適応しつつ楽しく生きられているひとを紹介してください、いるわけねぇだろ、とわたしは思うわけです、そうじゃなかったらモノ好きなメンヘラ専デブ専の高所得イケメンホモ(30〜38歳ほどが望ましい)を紹介してください、恋なんかじゃ救われないことはもう十分にわかりましたので、身体ならいくらでも。

 

◽︎Pretender

どんどこさまがどんどこさまがどんどこさまがどんどこさまがどんどこさまのどんどこさまによるどんどこさまのための………………乱パ?(ねぇ)君の運命のヒトは僕じゃない〜〜〜♪♪号泣(ToT)君は綺麗だ〜〜〜♪♪大号泣(ToT)(ToT)(ToT)

そんなダッサい記憶をだいじにだいじにしていたのに、他人の手垢にまみれて汚れちゃった、もう棄てようかな

 

◽︎introduction

自分の暮らしに年間いくらかかっているか考えたら年金合わせて320万くらいかかってた、年収いくらやねん、ウケるんだが、結局自分と他人を比べてばかり、しあわせも不幸も確たるものさしがないから、僕は言うほどツラくないです、そう言わなくちゃならないんでしょう、世の中にはいくらでも不幸が、もっとツラい人生がいくらでも転がっていて、親の金で生活できている僕はしあわせなんでしょう、でもこんなにもって、テメェら健常者にはわかんないよね(いつもの仮想敵)、ねぇなんで

はじまらないから、はじまらないまましぬ