生活
□マルチタスク不可シングルコア搭載ポンコツイズマイヘッド
さっきまで考えてたブログの超面白くて超おしゃれで超クレーバーなネタを忘れた。僕はちょっと足りない。あべともみ(漢字が分からない)の漫画に出てきそうだっつーか出たい。んあ、超パンケーキ食べたい。そんなにシャレオッティなヤツじゃなくていいからちゃんとおいしいのにしてね。
あれからトイちゃんがカラオケで歌ってたうたをずっと聴いている。
――生活はできそう?それはまだ。
なんで僕は致命的じゃないんだろう。テレビのニュースを見ながらこいつら(加害者)も僕もそんなに変わらないよなぁ的憂鬱を引っ張ったり叩きつけたりして遊んでる。さっき言われたことももう忘れたし、昨日の反省は嘘みたいに実感がない。なるべくなら無害な存在でいたい。誰かを傷つけたり殺したりすることは超わるいことです。でも僕はたぶんわるいひとだから、んあ、駄目、超パンケーキ食べたい。
出来る事なら賢く、清く正しく、強く優しく美しく、生きたいけど、なんだっけこれ、どうしたらいいのか教えてくれる人はいたけど、ポンコツのくせに言い訳することに慣れた言語野が舌先3寸で不幸ぶってたら逃げちゃった。
ちゃんと生活することってなんでこんなに難しいんだろう、できてないからその難しさも忘れそうなんだけど。誰か養って、なんてみっともなくて言えやしない。そのプライドが残ってるうちに働くか死ぬかしてみよう、ワークオアデス。
ひほみんの年収が本当は200万なんかじゃないんだろうなってことがようやくわかってきたの。あのひと、ほんとはつよいひとだとおもうの。
□スーパー革新的自己改革カウンセリングキルズミー
自立する気がほとんどもうないことが両親に気づかれた。カウンセリングも打ち切られそうだよどうしよう?精神科の受診くらいしか家の外に出ていない今の生活から、完全なるヒキニート、パーフェクトヒューマンになっちまいそうだぜ。つまんないよね、ごめんね。でも一大事なの、ほんとだよ。
カウンセリング、母親と父親と地元とインターネットの悪口しか言っていないので心理療法的な効果があるのか疑わしいし、自分の至らなさとか不甲斐なさとかずっと口にしてる。言い訳にしか聞こえないし、多分、半分くらいはその通りなんだな。セラピストのおねえさんに家族の歪みが安岡パス美(この名前気に入ってる)というカタチをとって表出していると言われてちょっとしめしめと思ったでしょ、やめなよそういうの。
このどうしようもない甘ったれクズ野郎を更生してくれ!!薬が効かないんだ!!(だって、パーソナリティ障害だから)恋じゃ変われないんだ!!(自分がいちばん大事だから)
変わりたいって思えるうちにダメだとおもうことをやめてみよう、チェンジオアデス。
□ジエンドオブ脳ミュージック脳ライフ終末ヴァージンスーサイド
大森靖子の新譜3曲でいちばん好きな曲がカバー曲なのウケる。僕はバンドマンじゃないし、クリエイターの苦労もわからないただの我儘な消費者に過ぎないのであった!!でもすき!!
大森靖子「ウェディング・ベル」MusicClip (short ver.)
それなりにコンプレックスではあるのです、そのくせこうやって盾にしたり振りかざしたりしているのです、口先だけのえらそうなバカは死ねって言ってもいいんだよ。あたしもえらそうなバカは嫌いだよ、あとうるさいブス。
最近はもう、音楽の魔法も効かなくなってきちゃって、それはたぶん家からでないからで、それはたぶんなんの変化もない生活を送っているからで、それはたぶん中央線が通っていないからで、それはたぶんきみがいないからで、それはたぶん、僕のせいなんだろな。本当にアンダーグラウンドは東京にしかないんだよって歌詞が身に染みるんだよ。幸せになったらいいものが作れないんじゃなくて、人生つらい組なあなたのことがすきすぎたんだよ。僕はね。
バンドマンなんかにおれの気持ちがわかるわけないなんて言ってごめんね。愛したいよ。
いまの僕にはこれくらいのうたがいいの。ね、突き刺してよ。本物の不感症になる前に。
本当
□後日談は続く
件の夏ヒェスに行ってきました。8月7日のロッキン。すごい暑さと肉の熱。そもそも暑いのダメだし、人混みもダメなのになぜ行くと言ったのか???自身の無責任さと想像力のNASAに参るのです。誘ってくれた後輩女子には悪いけれど、多分もう行くことはなさそうだなと思ってしま。はじめてのヒェスは計画性もなくて見たいバンドもひとつしか見られなかったし、グッズも売り切れてたりしたけど、それでも楽しくはありました。見たいバンドっつーか大森靖子なんですけど。
大森靖子のフード付きタオルをかぶっていたら、知らない女の子に話しかけられた。そんなことは初めてだったので少しうれしかった。お祭りニンゲンみたいなひとしかいないひたちなか海浜公園のなかで、その人だけは大森靖子にヤラれちゃってる同胞のような気がした。
帰りに後輩女子と「まさか天体観測が2回も聞けるなんてねー」「ねー」なんて話しながらゲラゲラ笑ってた。トリのバンプのアンコールまで見てたら終電に間に合うか怪しくなって、死んでも巣鴨まで帰りたくて疾走してたらエスカレーターでコケてアオタンできた。痛いし。
なんていうか、感動的なフェス体験みたいなことにはならなかったけど、地元での自分を忘れられたのは嬉しかった。あとやっぱり音楽は部屋で一人で聴いてるのが好きだと思った。歌詞が聞き取れないくらいの音量でもいいの。自分の物でいてほしいから。
□大切
8月6日、トイちゃんに会う。トイちゃんはすごい。大学を卒業したのち、昼はバイトで学費を稼ぎながら夜間デザイン系の専門学校に通っている。僕から見ればそれはもう素敵なことだ。嫉妬もできないくらいすごいと思っている。
――トイちゃんとは過去にまあそれなりにいろいろあった。わざわざそれを文字に起こすほどの元気はないけれど、一時は本当にきらいになった。トイちゃんを憎んでいた時期は自分にとっても辛っっくて苦し~~時期で、いろんなことがうまくいかなかったし、ゲイコミュニティですらうまくやれない自分に辟易していた。だから仲直りできたことは本当に嬉しかったし、トイちゃんのこともう一度ちゃんと好きになれて、よかった。でもゲイコミュニティに僕の居場所はないままで、トイちゃんは特別みたいだ。
その日は渋谷パルコの閉館カウントダウンのイベントで、大森靖子が弾き語りフリーライブをやるという情報をトイちゃんがどこからか仕入れてきたので、予定を変更して2人で渋谷へ行った。クソ暑かった。「少女漫画少年漫画」は弾き語りのほうが好きだなと思った。CD音源はアレンジが過剰すぎる。
同じ場所に、トイちゃんの知り合いの大森靖子フォロワーのゲイ集団がいた。トイちゃんはゲイが複数人集まって内輪のノリを公共の場でするのが怖いと言っていた。僕はそれを腐女子のそれに少し似ているなと思った。僕は自分の話し方が銀魂腐女子に似ているな、といわれたことを思い出した。あーん、関係ない。僕には友達がほとんどいない。どこの世界にも。トイちゃんの知人ゲイは大森靖子の非常に熱心なファンで、大森靖子本人ともSNSでリプライを送りあうほどの親密な仲なのだという。そんな話を聞き流しながら、僕はやっぱりどこにいても何者にも成れない自分を確認した。大森靖子になりたかった。トイちゃんにもなりたかった。僕は、その、なんだ、
某細専デブの八潮さんとカラオケで性行為をした話を、カラオケでしちゃうトイちゃんは迂闊でかわいいと思った。それから、もうデブは好きじゃないんだ、と言って、笑ってみせた。次に会えたら言おうとずっと思っていたこと、あれは下心だったよ、という言葉が、どうしても言えなかった。
トイちゃんは僕の数少ない友達だと思う。でもトイちゃんには僕よりも仲のいい友達が何人もいて、僕よりも大切なものがたくさんあるのだと思った。それでいい。東京には僕の居場所はもうないように、トイちゃんの生活の中に僕はもういないのだと思った。それでいい。
素直に応援しているから、これから先、いいことがたくさんあるといいね。またね。
□安いオカマ、略して安岡パス美
地元に戻ってきてそうそう、清水のマジキチお兄さんに安いオカマと罵倒された。これで3度目である。いいの、わかってるし。でももう若さでは売れないね、って言われたときはひっぱたいてやりたくなった。
But, I'm a Creep....
今回、安いオカマ認定されたのは、新宿の某カラオケ店、ちなみに509号室、で年下のかわいい男の子といかがわしい行為に及んだ話をしたからである。あまり詳しいことは言えないのだが、なんていうかあんまりにもかわいかったので、このかわいこちゃんがすごい!2016といった感じだった。ありていに言って惚れた。
でもだからといってなにもない。僕の生活は変わらない。清水のマジキチお兄さんにバックでヤラれながら「わんっ、わんっ」とないたら爆笑されたくらいです。「ぶひっ、ぶひぃ」だろ?じゃねーぞ殺すぞ。
犬になりたい
ごめんね
□隣の芝生が青くみえたから
ずっと違う人間になりたかった。自分自身がこの国における人間の標準の枠から外れていると気づいたのはいつ?そのときからずっと?いろんな人が羨ましかった。足の速い男子、絵の上手な女の子、進学校に進んだあいつ。世の中には、自分にないものが多すぎて、いつだって、自分が幸せだとは思えなかった。どうしてだろうね。僕は取り立てて不幸でもなく、ただちょっと、ずっと何かが足りなかった。世の中には自分よりももっと足りない人がいる、と飲み込もうとすると胃がムカムカした。そんなんじゃなくて、今すぐ僕を幸せにしてよって思ってた。
僕は不幸でも幸せでもなかった。それは特別なことですらなくて、ほんと、つまんないよね。フツウになれないんだったら、せめて特別製にしてほしかったな。そうして、気づけば僕はメンヘラという異常性を獲得していた。要らんわ。クソかよ。
こんなこと、考えないほうが幸せだとはわかっていても、ぐるぐるぐるぐる、思考は同じ回廊をまわってばかり。隣の芝生はいつだって青い。幸福な他人のことはいつだって羨ましい。怖い。もしいつか幸せになっても他人のことが羨ましかったらどうしよう。心穏やかに暮らせる日は来るのか。
□人生における幸福を語る死んだ目の友人
僕らは以前、好んでホモの幸せって何だろうね、と話題にした。池袋のジョナサンにて。マウンティング回避のゴールドジム。五郎丸ちゃんにしてください。2時間後たっけぇプロテイン買わされて~みたいな話。会話のネタが人生規模に膨らんでいくにつれて、僕らは悲観的にならざるを得なかった。それでも愛を語る彼を僕は尊いと思った。
だけど、今の僕は愛なんて信じてない。なにより自分を信じられない。ねぇ、ホモの幸せって何?パートナーシップ?ホームパーティー?そんなの知らない。2丁目は理想郷ではない。GOGOは現人神ではない。音楽は魔法ではない。人間の幸せは自己実現だよ、って教えてくれた人もいるけど、それこそ僕には縁がない。胸を張れる夢もない、し、たとえ見つけられたとしてもそれを実現する手段を持たないからだ。いつだって足りない僕は夢を見る。けれど、それは妄想と呼ばれるものと変わらないのだ。5分で変わる夢をかなえてどうするというのだ。まあ、漫画家になりたかったとか、死ぬ前にはきっと恥ずかしげもなく口にするんだろうな。寒気がするぜ。
残された人間の幸福は快楽の人生。つまり楽しいこと、嬉しいこと、それらを断続的に摂取することで人生を幸福な感情で塗りつぶしてしまおうという手法。でも。快楽には耐性が出来てしまう。あの、何もセックスに限った話ではなくて。同じ映画では何度も同じ感動を得ることはできない。つまり飽きが来るということ。大好きなサーモンだって、いつかは食べ飽きてしまう。ああ、サーモン食べたい。
大森靖子「劇的JOY!ビフォーアフター」MusicClip/「Heavy Shabby Girl」Ver.
□死にたい、って死ぬまでに何回言えばいいのかな
友人が死にたいという。わかる、と返した。酷く雑な会話だ。近頃の僕らはだいたいずっとこんな感じです。幸せがわからないから死にたい、だとか、幸せになれないから死にたい、だとか、こんな言葉を聞くたびに僕らは友達だって思えるよ。マジでクソだな。幸せな人間に対する呪詛しか口にしてねぇよ。他人の足を引っ張る社会ってこういう感情で作られていくんだなってなんとなく思った。
金がないから死ぬしかない、これから不幸になるのがわかっているから死ぬしかない、と、働きマンに言われて、そんなことないよ、と返さなくちゃいけないニートの哀しさをどうかわかっておくれ。
こんなこと、本当は口にしたくないはずだよね。本当なら、幸せな人間を祝福できるぐらい、自分だって幸せで居たいよね。だからこそ余計苦しくて、悔しくて、死んでしまいたくなるんだよ、ね。そうでしょう?でも死んだらダメだからね。どうせいつか死んじゃうから、それまではいつくばって生きてようね。ホモの幸せなんてわからなくても、きっと楽しいことはそれなりにそこらへんにあって、なんとなくでも生きていけると思うよ。たぶんね。だって君には才能があるもの。
□キラキラの中身が詰まっていると信じること
ずっと違う人間になりたかった。自分の箱が嫌いだった。周りの環境にも満足できなかった。なのになんでだろう。僕は僕の中身に自信があった。キラキラの才能がきっと隠れてるって思ってた。豚のような箱の中には、それ相応のドロドロで腐った中身しか入っていないことに気づかないまんま長い時間を過ごしてしまった。箱は身体と顔で、中身は心と人生。だけど、特別なんかになれなくても、友達と回転寿司でサーモンたらふく食べながら、下品な話をして笑ってたとき、僕は確かに幸せだったんじゃないかなぁとおもいます。マジで豚だな。あ~あ、平等なのは時間だけ、って、時間すら平等じゃないと思うね僕は。だっていまさら気が付いたんだもの。もう取り戻せないものだけど。
ねぇ、これから、なんてあるのかな。また、なんて、あると思う?
「今の自分が好きだから、違う人間にはなれなかったけど、これでいいと思います」
って言いたい。いつか言いたい。愛とか信じてみたいもん。
あいどんわなだい
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ひっでぇPV(だいすき)
□愛知の恋
僕がまだ仕事をしていたころ。社会的な生物であろうとしていたころ。研修で何度か名古屋に行きました。仕事の研修なのに、次の日が休みだったりするとここぞとばかりにコロナクラブに行ったりして、ああ、やっぱり真人間にはなれそうもないなあ、なんて考えていました。
せっかくだし(?)と、名古屋でホモに会おうと企てました。それはそれはかわいい男の子と。笑って話して、抱きしめあって、最後に少しだけ泣いた。夢だってわかっている夢が覚める瞬間は誰だって悲しい。
一緒に食べた味噌煮込みうどんは熱くて、上あごをガッツリやけどした。2人で行ったコロナクラブのカラオケルームで1曲50円払って歌う喝采はとても気持ちがよかった。
そんなこともあったな、なんて、それぐらいの恋でした。でも、久しぶりに時間が止まればいいなんて。いまのところ、それが最後の恋です。
□なんでもシアワセになれるなら
監視されている(ようなきがする)。僕が悪口を言っていないか不安なのだろう。こんな穿った見方しかできなくなってしまった自分が悲しい。
大切にしていたはずなのに、大事だったはずなのにね。今度は上手にやれるって思ってたのに、自分が見捨てなくても、相手に見切られることがあることを知らなかった。
何をそんなに怒っているの、とよく言われる。僕には怒る権利はないらしい。自分でもよくわからない。怒っているつもりは特にない。少しイライラしている。もう要らないだけなのに。もう頼れないだけなのに。他人の不幸を願うようにだけは、なんて、矜持も僕にはないですし、気分のいいものではないですよ。お気に入りだった分だけ、冷めたときに自分が見ないふりしていた部分に目が行く。自己愛だとかしたたかさだとか。それは皆同じことか。まあ、まだ子供だし…と擁護される。どこまでも大人になれない自分が情けないけれど、今以上に頭痛の種を増やしたくないのだ。
考え始めると気が滅入るので、もうやめよう。かわいこちゃんだった人の話。
僕にすきなひとはたくさんいたほうがいい、と教えた人がいます。すきなひとがたくさんいれば、一人の人間に依存しすぎて相手が離れていくこともないし、相手が自分の意にそぐわない言動をとったとしても、そのときはちがうすきなひとのところへ行けばいい、と。
そんな彼が、いつからか、ひとりの人間に恋をしました。
彼は恋をして、ずいぶんとかわいくなりました。や、もともとかわいいんですけど。恋愛沙汰における性格的な面で、以前の豪胆ぶりはどこへ行ってしまったの、といわんばかりの変わりようでした。
「ピーーーナイト(エロ系イベント)いこ?」「ごめんなさい、心に決めた人がいるので…」こんなやりとりが楽しかった。
恋する彼はまっすぐになっていて、僕はそれが羨ましかった。彼の好きな相手は僕もとても好きだったけれど、2人には幸せになって欲しいとおもった。ホモに愛なんてないっしょ?って思ってるからこそ、2人が作ろうとしている愛が尊く感じた。
僕は彼の好きな相手の気持ちはわからない、彼のことをどうおもっているのかも、いまいち掴めないでいる。だけどできれば、同じ気持ちでいてほしい。彼が想っているのと同じくらい、彼のことを好きでいてほしい。
いつか2人で暮らすのが夢だと言っていた。その夢がどうか叶いますように。
TOKYO BLACK HOLE
□僕がからっぽだって話(とトーキョーブラックホール)
思えば、はじめてブログを書いたとき、僕は何者かになれると思ってました。僕はふつう程度に愚かで馬鹿でした。何者かになるための手段として、ブログを選んだ、ような。そんなありふれた手段で特別になろうとしていた、ような。そのころの僕はまだ自分がホモだって認めたくなくて、でもまともには生きられないことはなんとなくわかってて、毎日毎日、幸せになれないなら今すぐ死にたい、みたいな記事を飽きもせず更新してたよね。あの頃のブログは燃やしてしまったけれど、きっともう要らないものしかそこにはないんだと思う。
あれからいろんなことがあったね。大学に行くって決めたとき、東京を選んでよかったね。わかったような顔した人に病気だって言われたり、たくさんの人に嫌いだって言われたりしたけれど、それ以上に得難い経験が出来たよね。たぶんね。
その得難い経験ていうのがもう、なんだかよくわかんなくなっちゃったけど、東京にいた頃、たくさんたくさんセックスしました。今では、出会い系アプリに性行為が好きです、なんて書けるようになっちゃって。性行為依存症と言っても差し支えない域だったと思います、正直な話。(田舎じゃただセックスするのもたいへんだもんね)
憂鬱も絶望も退屈も憎悪もぜんぶあったけれど、東京で暮らすことができてよかったです。って、僕は確かに言いました。
でもやっぱり僕にはなんにもないままでした。
セックスがどう、てのはね、誰かと関わること、触れ合うことでしか、自分の価値とか意味とかキャラクターとか確認できない脆弱な自己しかなかったからだとおもうよ。だって、ほとんどすべての娯楽が他者依存だったんだもの。だれかといるときにしか自分がどんな人間かわからなかったのに、誰にも会えない場所に帰ってきちゃったんだもの。なにもない、どころか、自分がよくわからない。
弾けないギターを弾きたい、文才があるような気がする、根拠のない自信。なにもしないからなんにもないのか、みたいな話になると、だってなにもしたくないし、て少しだけ思ってる。なにもないことにどこか逃げ込んでいるような気も少しあって。なにかをもってる人だとか、何者かになれた人にはわからないこのうつろな気持ち。無気力さ、やるせなさ。みんな忘れていっちゃうね。身体が重い。
怠け者で、自己中心的で、頭が足りない僕にはそれ相応の結末しか残ってないみたいで、それが少しだけ、悔しい。もうやる気もないみたいだし、しかたない、のかな。
漫画家になりたかったし、バンドマンになりたかったし、なにもないなら、なにもないなりに、毎日日記を書いたりしたかった。人並みに誰かを好きになって、恋だってしてみたかった。でももう、一生このままなんにもないことがわかってきたでしょ。
ね、もう今年で25歳なのもわけわかんないよね。精神的には中学生か高校生のそれから一向に進歩してないのも笑えないよね。
東京、東京、トウキョウって僕、この一年間馬鹿みたいに唱え続けてました。実際4回くらいかな、遊びにも行って、ゲイの友達とも会ったりして、自分にはちゃんと居場所があって、友達だっている、って思い込もうとしてました。でももう無理。友達だった人たちは新しいコミュニティでよろしくやってる。よくよく考えたらそんなに仲良くなかったのかもしれない、なんて、やめてよ、悲しくなるよ。
大森靖子「TOKYO BLACK HOLE」MusicClip
東京では、暮らせない。なぜなら東京で暮らしていくには、僕はあまりにも怠け者で、自己中心的で、頭が足りないからです。もっと言ってしまえば、働けないということ。
それじゃあダメだよ(僕が知っている東京のニートはみんな実家住まいだ)。
大森靖子や小山田壮平やoimoboyやよしみちゃんやいかすみちゃんに憧れてこうしてブログだけは、っておもっているけどそれだってひどく脆い。なにかひとつでも生きていけるだけの才能が欲しい。努力できる才能はもっと欲しい。
ラジャ・マハラジャ―
かわいい男の子はもうかわいい男の子ではなくなっていました。知らんうちに。
こんばんは、スピリチュアルとは無縁の肉塊、メンヘラレイパーてぃももちゃんです。みんなスピってて羨ましい。
□近況報告(2016/07/12)
いい加減このままでいるのもどうなんだと思い、バイトを探すも、犬に餌をやるために出た部屋の外があまりに暑く、断念する。
御中元で届いたビールを飲むことにハマるも、アルコールとSNSの相性の悪さを指摘されSNSを中断する。
大学時代の後輩女子にろっきんおんJAPANフェスに誘われるも、金銭面での不安から保留にして貰う。
それ以外は何もなくて、何も言えない。
ホームレス銀河
今更、だけど、このブログ、自分で読んでもつまらなすぎるけど大丈夫?
ひとは死んだらどこへいくのかなぁ。ここよりずっとODAYAKAな場所だといいのだけど。死ぬまでは生きなくちゃいけないね。だけどこんなこころで大丈夫かな。ちゃんと生きていけるのかな。もうどうにもならないところまで来てしまったようにおもうの。どうしたってとりもどせない1年間を過ごしてしまったような気がしてる。
お気に入りだった未成年の恋人が思いもよらない人だったので少し動揺した。
フィールソーグッド
もうあきらめていたはずなのにな。
どうやら僕はずいぶんと厭なヤツみたいで、他人の幸せを呪うことくらいでしか自分の気持ちを宥めることができないようだ。そんなつもりじゃなかったんだけどな。
僕が望んで厭なヤツでいるわけじゃないこともわかったいてほしかったけど、きっとそんなものも甘えだったみたいで、というかそんなことにたいていの人は興味ないみたいで、むしろ僕みたいのに興味を持つひとのほうがどこかしらどうかしていて、ああ、こんな自分大好き日記にそれこそ意味はないんですけど。だったら何。
みんなたぶんどこかしら欠損を抱えていて一生懸命バレないようにやっている。僕だってそうだ。進んで自らの落ち度を他人に見せつけたりはしない。ただ、隠し通すのが下手なだけで。自分から(自分性格悪いんでw)なんて中学生みたいなことは言わない。それほど子供じゃあないし。それほど馬鹿でもないよ僕は。
たぶんね。
Over the Party
今だって愛してるよ
春が終わっても愛してる
DO-SHE-YOU
コミュニティは死んだ。