才能ない脳

かわいい自分を演出するためだったのにいつのまにやらゲボの掃き溜め

フィールソーグッド

もうあきらめていたはずなのにな。

どうやら僕はずいぶんと厭なヤツみたいで、他人の幸せを呪うことくらいでしか自分の気持ちを宥めることができないようだ。そんなつもりじゃなかったんだけどな。

僕が望んで厭なヤツでいるわけじゃないこともわかったいてほしかったけど、きっとそんなものも甘えだったみたいで、というかそんなことにたいていの人は興味ないみたいで、むしろ僕みたいのに興味を持つひとのほうがどこかしらどうかしていて、ああ、こんな自分大好き日記にそれこそ意味はないんですけど。だったら何。

みんなたぶんどこかしら欠損を抱えていて一生懸命バレないようにやっている。僕だってそうだ。進んで自らの落ち度を他人に見せつけたりはしない。ただ、隠し通すのが下手なだけで。自分から(自分性格悪いんでw)なんて中学生みたいなことは言わない。それほど子供じゃあないし。それほど馬鹿でもないよ僕は。

 

 たぶんね。


Kidori Kidori / フィールソーグッド MV

hayatochiri

仕事を辞めてから時間が経つのがやたら早くなった。もう2月で、だけど私は相変わらずで、ここでこんなことしてる。

「私の夢は新宿2丁目で店子になってちやほやされることです」、そんなこと言えない。
光とか救いとか欲しがってプリンセスプリキュアのおもちゃをひととおり揃えたり、Fateのソシャゲに廃課金してみたりしたけど、収入がないのにこんなことしてるっていう罪悪感だけでイライラしてしまう。まあ、プリキュアごっこはサイコ〜にたのしいね。
今日もほとんどベッドの上から動かなかった。4週間で6キロほど太った。ヒゲを剃る習慣がなくなった。それでも私はサイコ〜にかわいいね。いつだって自分がよければそれでいいの。

Beautiful Monster

精神科の待合室でこの記事を書いています。

次回来院時は障害者手帳の申請のための診断書を書いて貰えるそうです。
会社、辞めました。
 
クズはクズなりに楽じゃないです。や、本当は楽をしているのかもしれないけど。楽だと感じられないだけで。言葉にするとみっともないけど、わたしはわたしで少しつらい。
時折、人並みに生きられない自分に対してどうしようもなく腹が立ちます。自分以外の人間ができていることが、どうして自分にできないのか、不甲斐なさで潰れそうになります。(比べること自体無意味なのですけど)
だから何、ってことも、別にないけど。助けてなんて、言えた義理じゃないけど。
 
もう長いこと精神科に通っています。最初は高校一年生のとき。そのときわたしはまだ15歳でした。
もともと、田舎のひと学年ひとクラス27人、保育所から中学卒業まで入れ替えのないメンバーで過ごすことを強要される様なド田舎で生まれ育ったわたしは、高校に入って初めて自分が他人が苦手だと思い知らされました。
簡単に言うと、教室に入れなくなったのです。席に座っているといろんな声がして頭がパンクしそうになるのです。聞こえないはずの声が聞こえてきました。あら、まあ、よくある話ね。とても陳腐だわ。面白くないわ。
夏休み明けの2学期からはあまり学校に行かなくなりました。たまに行っても、保健室。その保健室の養護教諭に紹介されて、県が企画している、精神科医に無料で相談できる集まりに参加しました。思春期相談会みたいなやつです。
その翌週から、しばらくは毎週、電車とバスで片道2時間かけて心の医療センターという施設に通いました。お医者様は診断名をけして口にしなかったけれど、処方された薬は統合失調症の患者に出されるものでした。
(全然関係ないけど、そのときに撮った脳のCTスキャンの画像を見たとき、前頭葉がめちゃくちゃ萎縮していたことがショックで、いまでも引きずっている、笑えない)
 
それから、何度か病院を変えたり、カウンセリングを受けたりして、気が付いたらもう8年。ああ、8年も自分のポンコツさのために金を払っているのか。論点はそこではないけれど。
わたしはなんだ?そこまでしないと人並みの生活は送れないのか?いや。それどころか、薬を飲んでいても、こうしてやっと見つけた仕事を手放してしまうような人生しか生きられないのか。ああ、嫌だ。情けない。でもきっと、言うほどはツラくないんだろうな。ひとと比べても、無意味なのはわかってるけど、わたしはわたしよりもつらいおもいをしながら、それでも懸命に生きている人間を知っているはずである。弱音は吐くべきでない、だってダサいから。
 
なんなんだろうな、こんなポンコツな身体と脳ミソを引き摺ってこれからも生きていかなきゃならないのかな。
イヤんなるよ、ホント。
 

vivi

こんな街にも痴漢はいるのだろうか。どうでもいい。なんども言っていることだけど、今の私の生活には救いとか光とかそういったものがあまりに欠如している。賢い子供は私のようなよくわからないものを避けるからわかりやすくてたすかる。私がそうなりたいことを知っているから。

救いを、光を、神様。て、中学生みたいなことを本気で思っている。だってこの生活はあまりにつまらない。救いってのはなにも性的なことじゃなくていいし、光ってのは人生の意味とかそんな大それたことじゃなくてよくて、ああ、クソつまんないな。どうにかしてこの毎日を、なんて思って東京へ逃げた。東京は冷たい街だった。きむらちゃんは公務員になるそうだ。ああ。私はなんでこんなとこでこんなことしているんだろう。かといって、かといってだ、どんなタラレバにもろくなオチが思いつかない。貧困、自己破産、どんなルートを辿ったとしても私はきっと死んでしまう。いちばん賢いのが今の人生が最善だったとして生き続けることだ(としても)。
 

オレンジ

大学入試センター試験が終わった。
て、23の私にはほとんど関係のない話だ。しいて言うなら妹が全然点が取れなかったと騒いでいたくらいで、
ああ、コレ関係なくはないのか。

かつて私が大学入試センター試験を受けた頃は……んん……どうだったっけ。今とさほど変わらないような気もするし、全てが変わりすぎて思い出せないのかもしれないし。ただ漫然とした終わりを感じていたことは確かだった。高校生活の終わりなのか、それとも人生のなにかひとつの大きなカタマリの終わりなのか。

私は高校時代、ずっと「人↑生の旨みは17才がピーク、あとは惰性」だと本気で思っていて、高校時代をこんな風に過ごしている自分はたぶん一生幸福とは隔絶された世界で生きていくのだと信じていた。

もう長いこと、ずっと生きているのがイヤだった、ような気がする。ごめん、わからない、嘘かもしれない。楽しいこともそれなりにあったけど、ほとんど一瞬で融けてしまうから手元にはなにもなくて。とりあえず今はイヤだ。

生活保護で暮らしてるタバコ臭いおばさんに未来の自分を重ねている。目に映るものにいちいち腹を立てている。きっと私たちナルシストだから自分のものさしでしか他の全てをはかれないのだ。

沈黙

全部言いたい、言ってしまいたい。おえっ。
そうだな。たとえば、知ってること、思ってること、されたこと、黙ってること、全部口に出したらどうなるんだろう、と思うことがある。私が話さないから、なにも考えていない、あるいは感じていないかのように思われるのは腹立たしいことだし、口に出た側面が私の全てではないのだと主張したい。メンヘラが24時間メンヘラしてると思ったら大間違いだと思う。しかし、私はいつだってあまりに主観的だ。こんなこと、みっともないから言いたくはないけれど、私だって我慢していることはある。それは体裁を気にしてのことだったり、他人の人権を著しく損なうものだったり、(もう恋に生きられるような場所にはいないからだったりするけれど、)諸々の大人の事情で黙っていようと決めたから、表出させないこと。私は馬鹿だから、我慢ができないし、言いたいことが言えない環境は相当に堪えるものがある。と、感じることがありました。でも意外と言わなければそのまま忘れていったりもするしなぁ、やっぱり私は馬鹿だ。こんな馬鹿なりに空気読んだりして黙ってることもあるという話でした(そうだっけ)。
すきなひとにすきっていいすぎてわけがわからなくなってる。でもほんとにすきなひとにすきっていえなくていらいらしてる。さてさて。