才能ない脳

♡北欧館に住もうとおもうの♡

□the beast

 いい具合に日本語を忘れた。会話の相手は母親を除けばカウンセラーか精神科医だ。知っていたはずの言葉が出てこないので、黙る。言いたいことがなんとなく喉元にあるのに、言葉にならないもどかしさ。こんなことは少し久しぶりのように思う。

 自分と向き合ってもいいことなんてないとおもった。救いは忘却だけ、こんな気持ちは早く忘れてしまおう。

□エラーメッセージ

 なにも言えない。なにを言っても一過性のものだとまた知ってしまった。あとで恥ずかしくなるようなことを記録として残しておくことに今更ながらの抵抗が生まれた。僕は誇りみたいにおもっていたものもなくした。それでもこんな文章を書いているのは、早くこんな気持ちを過去にしてしまいたいから。僕が移ろい易いのであれば、この無力感も、気怠さも、宛先の見つからない恨み言もきっと過ぎ去ってくれるはず。いなくなってほしいのはいつだって自分だ。その攻撃性が外に向かないよう責任の所在を自身の中に探している。逃げ出したい、けど、たぶんこの身体はどこへも行けないとおもう。

 なんとなく怠くて動けないのは、春の陽気にあてられたせいか、せいしん薬が少し効きすぎてるだけだから。大丈夫。

 

□pink

 桜が咲いている時期だけが春なのだと思う。ずっと昔に好きだったひとに、何の気なしに、今の彼氏はどんなひとなのと聞いた。

 昔好きだった、とかさ、そのときは性欲だったかもしれないけどねぇ。また会いたいなって思うよ。だから、だからさ、

 

□最近のカップ麺はうまい

 さくらがさいている。ことしはこのはながちるまで、だれかといっしょにながめることもないだろう。

 

 僕がいいな、と感じるような才能がある人は自己表現をする。当たり前の話だけど、それは表現するから僕まで届く、見えている。なら、僕も表現を、ああ、と気づく。表現するためのスキルがないだけではない。僕には、表現するような自己はないのだ。

 (遅いよ、気がつくのが)

 

 高校生だった頃からずっと思っていたことがある。僕が精神の不全や発達のバランスの不揃いさ含め、人間の出来損ないであるとするなら、きっとゲイですらいられてはない。最初から同じステージに立っていないのだ。だから恋も生活も、自分には難しい。

 (でもそれってセルフハンディキャッピングじゃないの)

 

 3月末、恋人に別れを切り出した。2人の間に恋愛感情はもうないけれど、もう少し一緒にいようかということになった。これからは恋人をもっと頼ろうと思った。利用するのではなく、きちんと頼れたならいい。いつかパートナーと呼べるようになりたい。

 (身の程知らずな欲望ばかりだね)

 

 言い訳くらいさせてくれ。

□男子高校生と腕相撲してコテンパンに負けたい

 にせんじゅうななねんしがついつか、まだなにものかになりたいなんていってる。

 

 自分は何者にもなれなかったなにかになれたと思っているよ、と僕に言ってくれたあの子は本物で、何者かだった。羨ましくおもった。

 自分の気持ちに後出しジャンケンのような注釈をつけることを許してほしい。

 たとえば、この世に二人だけ、それこそ中島みゆきの歌のような話で、話せば話すほどちんぷちゃんなことなのだけど、認めてほしかった、選んでほしかったのだと思う。あの子が認めてくれたら、何者かになれるような気さえしていた。僕の承認欲求が有象無象ではなく、あの子に向いていた、だけのことで。そんな気持ちはない方がいい。叶うことのない欲は自身を傷つける刃になるのだと知っている。

 あの子がいなくなったわけではないけれど、僕にこびりついていた腐った感情は(がんばって)もう切り落とした。恋でも愛でもない、奇跡みたいな欲望、バイバイ。

 

 僕はひとりで完結した人間になりたい。無敵で最強になりたい。友達なんていらない死ね。至高の自己愛とは自己完結だと思う。何者かとかおそらく、そういうことだ。なのに、こんなにも人懐かしさは消えてくれない。

 もう自身の快・不快に他人を巻き込みたくない。

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□さみしいよ、マザーファッカー

 

怪物:

 腐った感情を、凍った経験を、ひいては全部を。わかってほしいという話。

 ふんわりした印象だけで芯に触れずに終わらせるか、小難しい言葉で誤魔化すか、順を追って事実を話すか(もちろん、自分に都合の悪い部分は適度に省略しつつ、であるが)。わかって欲しいという怪物のような欲望に対してどう処理するかを思案している。自分が標準偏差から離れていくにしたがって、怪物は猛る。

 わかってほしい気持ちには形がないことが多い。言葉にしようとしても、少しずつ気持ちからはぐれていく。ブログは読み手を意識する。相談は聴き手を意識する。僕は自分が何をわかってほしいのかいつも見失う。結果噛みついたり吠えたりするだけで、わかってくれる何かとは出会えない。

相談:

 相談といえど、アドバイスを求めているわけではない。ただ聴いてほしいだけのことも多いが、それはどちらかといえば女性的な感性だ(ジェンダー論はお呼びでない)。わかってほしい気持ちを垂れ流すよりも、特定の誰かに聞いて貰えたほうが、よほど自分を正しく肯定できる、とかそんなことはわかりきっていて、でもできないのは世界とそんな関わり方しかしてこなかったから、と結論付けている。他人は装置。

 怖いと感じるのは、たとえば相手がいる場合に、風説の流布・もしくはそのように捉えられる危険性。悪口のようなもので、僕は相談と称してナチュラルに、ニュートラルに他人を貶める手口を好んで使う。が、それらはたいていすべて見透かされていて、自身の株を落とすだけだとようやく気がついた。ので、原則として誰かに他人についての相談をしないことにした。

 そもそも、信用に足る人間などそれこそ阿久津くらいなもので(固有名詞を出してしまった)、それ以外のほとんどの人間は相談することによって得られるモノ(安堵感等含めて)は支払ったものに釣り合わない。情報は資産だというなら尚更である。リスクヘッジ。沈黙は金。

 そんなことを考えているからか、誰かの相談相手として選ばれることは非常に稀である。情報セキュリティとモラルの低さはお墨付きだ。建設的なアドバイスなどできるはずもなし、それでいいと思う。

 (※相談もできない人間は勝手に自家中毒起こして死ぬだけ、対人スキルには他人を信用できるかも含まれているから、だそうです。)

 吹聴:

 (たとえば、SNSで)陳腐なポエジーでなんとなくセンチメントを演出してわかりあえた気分になれたのは大学2年生までだった。意外なことに、ホモには他人の哀愁だとか後悔だとかに寛容な人間は少なかった。むしろ斜に構えた人々にとっての嘲笑の的になったことの方が多いように思う。そのくせ、素朴なイラストに一行詩を載せた様な画像を共有することが好きで、ああ、結局はクオリティの問題なのか。僕が至らないだけなのだな。表現者にはなれない。表現も対人スキルのうちの一つなのだろうか。

 もしくは僕のような、わかってほしいという漠然とした欲望の陳腐さに人は嫌悪感を抱くのかもしれない。だからある人は攻撃的な言葉で武装して、ある人は知性で感情を排してただ事実として述べ、ある人は自身の経験を丁寧に言葉にしていくのかもしれない。たくさんの人間にわかってほしい気持ちを肯定されたらどんな気分だろう。怪物は消えてくれるだろうか。

恋人:

 以前の僕、恋愛にもう少し夢とか理想とか持っていた頃の僕なら、恋人に”わかり手”としての役割を求めただろう。なんだわかり手て。けれど残念なことに恋人がいるはずの今の僕は、(恋人には)しばらく何も話したくないと感じている。僕にとっての聴き手はカウンセラーだけでいいとさえ思い始めた。そんな気持ちはとてもさびしい。

 恋愛について人に相談しない。なぜって、自分が一番正しいからに決まっている。こと恋愛においては自分以外の人間の言葉は全て無意味だからである。先人たちの知恵も悉く価値を持たない。そこには過去の経験すら不要で、現在の自分の感知することだけが事実なのだ。独善的になれないのなら責任をとろうという気概もない。片想いならなおさらで、自分の内に留めておけない気持ちが聴き手を求める。危険な欲求だ。どのような結果を招いたとしても、自分以外の人間は責任をとってくれない。適当な言葉で気持ちを濁されるくらいなら、自分の中で変質させた方がいくらかマシだと思っている。

 誰かを好きなきもちは壊れモノだし、汚れやすい。ので、誰かに触られるのがこわい。

本当:

 人に言われた言葉がどうもうまく呑み込めずに引っかかって残っていても、僕はその言葉にどんな反応を返したのか覚えていない。記憶が自分の都合のいいように徐々に入れ替わっていくのもそのせいだと思う。被害者的な意識は常にあるけれど、実際に僕がただ傷つけられただけである場面は少ない。今度傷つけられたら殴ってやろうとずっと考えていた。そう思っていると案外、優しかった。それでも怯えて過ごす時間のほうが長いので、なるべく距離を置こうと思った。

 わかってもらえなくて悲しいのは、僕がわかってほしいと思っているからだ、と、はたと気がついた。それは愛でもないのに恋でもないのに、ああ、これは欲だ。満たされない欲でいつか傷つくことも同時に知った。

 僕を切り捨てた彼が盲目的な全肯定をもとめるのは、愛着の形成に問題があるんだろうなとか思うだけで、自分が手を差し伸べようだなんて少しも思わない。僕は彼の母親ではない。ともいえ、母親になりたいわけではないのだろうけど。もう同情もしなくていいと思えば、少し気楽でさえある。本当はずっと怖かったんだろうな。こんな風に切り捨てられるのが。

 

 わかってほしいんだろうな、とおもう。でももう、わかってあげない。

ドグマ・マグマ

□いいよなきみはまつ毛も長いし、いいよなきみはすごくやってけそうだし

 昔みたいにおい!大丈夫かよ!おい!って言ってほしいのにあの子はわたしのなかでほぼ完全に死んじゃったのでもう会うことはないでしょうねあんなにかわいかったのに全然大丈夫じゃないし全然大丈夫じゃないって言っちゃってるし口に出すとダサいから黙ってた方がイイでもそれってたぶんみんなわかっててやってるのにわたしだけがこどもみたいなグジグジいじけててガキみたいにみえるんだろうなーっておもうほんっとうにダサくてイヤんなる手ぇ届くはずなのに手の届くはんいにいるひとはだれもすくってくれないのはその程度のひとづきあいしかしてこなかったからだなーわたしふぁぼはされてもリプライきほんてきにこないしなーみたいなことを愚痴アカで言ったらブロックされてた爆笑()たいていのことは自業自得だとおもうからだれのせいにもできないのに視界にはいってきよるたいていのものはわたしよりも悪いからあれーおかしいなーだれのせいなのかなー気圧のせいかーそっかーよかったー鬱かとおもったー!パス美ちゃんは責任転嫁が得意なフレンズなんだね!すごーい!バカにしてんのか殺すぞアッはいバカにされるような生き方してる私が悪いんですよねすみませんバカにしていただいて大丈夫ですほんとあのへんよりアレなんでわたしアレなのにさらに下を探していてスミマセンあのその内輪でわいわいやってるあのへんをバカにしながらもなんだかんだでわいわいやってるひとらの輪にも入れなくてホントア~宿命的に日陰者であるってこういうことか~みたいなことを悟った瞬間にすきだったひともおきにいりだったひとも全☆員☆死☆ん☆で☆く☆れってなっちゃたしでも全員殺してまわれないからわた、わたしがしねばいいのかな……なんてってひばりの朝って漫画でゆってるシーンがすごく好きだったのね2013年の話なんだけどそんときもゆってたずっと日陰者でもマイノリティとか横文字つかうとすくわれた気がするねいじめられっ子はおんなし気持ちになれないとおもうだってじぶんが一番かわいそうなのにおそろいになんてなれないしマイノリティのなかのマイノリティの中のマイノリティの中のってそれお前単体じゃん個人攻撃じゃん完全にわたしだ頭痛いしロキソニンのも薬飲んで寝る即ちさいつよイェーイ

 

□アーメンさっさとアーメンさっさと

 なんて、狂人ぶったところで状況はよくならないのです。アヘアヘ。狂人というか、一時期の大森靖子のブログに対するオマージュなんですけども、わかんなくても問題ないです。なんかさ、ティモシーがダメになったときみたいに、degawapasumiがダメになってきてるからね、もうヤメにしてしまいたかったのサ。ツイッター、とかもうやめればいいのにね、あれやこれに関する話は上の駄文でだいたいほとんど全部なので、それ以外の生活について、いくつか。さすがにインターネットだけでは生きていけないです、わたしとて。

 メンヘラデブ②号ちゃんがツーちゃんねるにさらされた話。⇒なるべくして陥った状況だと思いました。鬱屈した日常に差し込んだひかりみたいな猛毒ダナ~。もっと性格の悪いことは全然たくさん言えてしまうけど、この話はこれでおしまい

 二丁ハロというアイドルユニットの話。⇒大森靖子からとかハロプロからとかそういう縁があって最近気になって動画をいくつか見ています。いつだってゲイの感じる普遍的なさみしさはあるとおもうけど、アイドルというフォーマットで表現するのは時代に即していていいなぁとおもいました小並感()。

 カードキャプターさくら クリアカード編の話。⇒めっちゃたのしい。あのころさくらちゃんになりたかった気持ちがブワ~~って、ブワ~~って、杖欲しい。かわらずマンガだけが楽しい。フィクションは/*他人と違って*/思い通りになるから。

 放サモの話。⇒1月末から始めてドブのようにドハマりしてる。変な笑いが出る。内なるケモフィリアが完全に覚醒した。放サモからケモ絵師を何人かフォローするようになって、絵を見てるけど、おれにも描けんじゃないかって気になってきて、かいたらかいたで似てないと言われた。これは内緒の話だけど、ユーキャンのデジタルイラスト講座を受けようか迷ってる。

 大森靖子ちゃんの話。⇒まだ余裕で信者やれるけどアルバムの発売形態にはちょっとウッてなったし、タイトルでひと悶着あったのも宣伝かな!?って思っちゃったし、さ+く・ら@い・か:お/りさんとの揉め事も宣伝かな!?!??って思っちゃったし(でもあれはデザイナーさんがアレなひとらしい、有名な話らしいけど)。極めつけは批判的なツイート(なんか「大森靖子前から嫌いだったけどやっぱ嫌いだわ」みたいなやつ)をわざわざ引用リツイートしてんのはただただ不快だった。なんであんなにファンも信者もいるのに、否定的なツイートをえらんでRTして自分を支持してるひとらを不安、通り越して不快にさせるようなことするのかなって感じ。いい加減そういうステージから脱してほしいよう。でも下記の曲はよかったし、PVの大槻ケンヂにはグッときた。表現者が人生つらくないといいものが作れないなんてウソだ!みたいなことを朝井リョウと一緒になってゆってたけど、人生つらい組のあなたのことが好きすぎて、まだその影を求めてしまうの。だからシアワセになっても忘れないでね。魔法が使えないなら死にたい。

 

 25歳の誕生日の話。⇒母親がハンバーグ作ってくれて、街のケーキ屋さんでガナッシュトルテをホールで買って、妹たちからお祝いのLINEが届いて、かれぴっぴと長電話をして、プレゼントにぬりえと色鉛筆を貰って。(ア~おれ25歳なのになんでこんな子供みたいな)っておもわないでもなかったけど、とてもしあわせだった。しあわせだったので、このタイミングで死ねたら最高!って思いながら寝た。フツーに起きた。インターネットの人は祝ってくれなかった。要らんけどな、要らんけど、ムカついたのでウォークマンipodについてくるアップルのシールを貼った。

 


大森靖子「ドグマ・マグマ」Music Video/YOUTUBE Ver.

 仲間はずれにもおんなし気持ちで生きている誰かがいると思うことで救われたい。

 自身が独りであると感覚する夜、わたしは文章を書く気力さえなく、枕をどかしたベッドで丸くなって眠る。この大きな身体を丸めたところで、なんの悲壮感も生まれはしないのだけど、それでも可哀想な自分を必死になって演出する。観客はいないのでわたしがよければそれでいい。本当に独り芝居だ。そのうち不自然な涙が出てくる、わたしはたいそうおめでたい。不細工だから何をやっても絵にならない。

 そう考えると、こうしてパソコンに向かっている日はそうするだけのエネルギーがあるということで。愚痴でも不満でも、キーを押すだけの元気があるのだ。だからマシだなんて、わたしはカウンセラーではないので口に出したりしない。

 数ヶ月前のギター弾きになりたいだとか、絵描きになりたいといった妄言が、みっともなく感じられる。だってわたしは絶対に何もできない。ひとりでも楽しい人間になんてなれるわけがない。わたしは自身のどうしようもなさを薬とかゲームとかそういう思考停止のためのツールをたくさん使って忘れて生きている。忘れて、誤魔化して、それでも人並みの生活は遅れない。社会の中で働いて生きることはもうあきらめてしまった。金がないと人間は死ぬ。死ななくても、生きづらさを感じる羽目になる。

 考えることはどうにもならないことばかり。身体が重い。時間が過ぎるのがひどくゆっくりに感じられる。だからたくさん眠って、1日1日をなんとなくでやり過ごしてく。季節が変わる。わたしの身体は老けてゆく。このままいつか致命的ななにかが起きて死ぬ、起きなくても死ぬ。死ぬことについて考えるとわたしは少しも不幸ではないし、行き詰まっているわけでもないのに、と誰かがわたしのダサさを糾弾する。不細工だから何をやっても絵にならない。

 自分自身に対して善き聴き手であれ、といつかフォーカシングの授業で習ったけど、わたしはわたしが信用できないし軽蔑しているので話を聞こうとも聞いてほしいとも思えない。そう思っていたらいつからか自分が何を感じているのかよくわからなくなった。言葉も見つけられなくなった。

 

楽しいことも嬉しいことも、それなりにあったはずなのだけど、やっぱりこんな日はよく思い出せない。えっちなことは彼氏が見てるから書けない。さっき、あとから自分の都合のいいように記憶が書き換えられるタイプのひとだ!という言葉を読んでわたしのことだとおもった。

今はひとりだとおもう。

 否定的な気持ちは続いている。寒さや気圧みたいな、大きなもののせいにしてしまえばいいのだろうけど、それが上手に出来たならいいのだろうけど、わたしはそもそも優しい人間ではないのだろうし、否定的な気持ちや思想が自然な在り方のように思えてくる。何もしようと思えないし、出来ることなら何もせずずうっと眠っていたい。他人は嫌いだ。きっとそれは素直なわたしの気持ちなのだと思う。

 さみしいだけ。そうかもしれない。わたしは2年前に地元に帰ってから、ずっと仲間はずれだ。それは(わたしが勝手に)仲間はずれのような疎外感を感じている、という意味に限定されない。少し悲しいけれど。それまであった人付き合いは実際に消え失せたし、ここには友達はいない。インターネットはきっかけにはなっても、人間を相手にしているという感覚をくれるわけでもない。

 でも、そんなものなのかもしれない。仲間はずれになるような人付き合いなんて、そもそも嘘っぱちで、みんななんとなくそんな気分になってるだけで。みたいな、性格の悪さが滲み出た稚拙な仮説に頼っている。みんなひとりでいてほしい、という、わたしの害意。

 このところ、タイムラインを見ていて丁寧なやりとりにほどウソくささを感じる。誰にでも色をコくな、と言われる。わたしだって馴れ合いたいのに、間違ってるのはこちらの方で、向いてないんだろうね。SNSやめろといった指摘はこれまでに何度も受けている。やめられるものならやめてしまいたいけれど、無理だということもなんとなくわかってしまう。

 たいしてすきでもないものをすきと言えてしまうのはそんなに恰好悪いことですか。わたしの言葉が重みを失っていることなど気づいていないわけないじゃないですか。

 わたしは一人で完結した人間になりたい。他人なんていらない、一人でも楽しく生きていけるようになりたい。けれど、それが叶わぬ願望であることも承知している。わたしの娯楽は他者依存であるし、肥大した承認欲求とか自己顕示欲とかなんかそんなものが他人という装置を求める。なんとも情けないことだと思う。そも、金銭的にわたしは一生自立とは無縁なのだとおもう。

 わたしの敵はいつも、自身のどうしようもなさにある。他人以上に、わたしは自分のことが嫌いなのだとおもう。とうの昔に見捨てている。手綱を握る意志さえない。ダサい。そういった思考が同じ回路を辿って行き着く先の言葉が辛うじて出た、死にたい、なのに、どうしてこんなに安っぽいの?

 

 昔のブログを読み返していたらおんなじようなことをグダグダ書いていたので公開するか少しためらった。

今夜だけ間違いじゃないことにしてあげる

□イマジナリーエネミー

 生理周期かなんなのか、全員死んでくれ、みたいな思考に陥ることがままある。全員死んでくれ期の到来、それ自体は珍しいことではないけれど、このところ、他者と相対していると、すぐに怒りによる思考停止、並びに拒絶、破壊衝動、といった、負のイメージを感覚してしまう。お前のせいだよ、と言ってしまいたくなる。

 生身の人間を相手にすることはとても難しい。なるべくなら使いたくない言葉も相手に投げつけてしまうし、自分が傷つきやすくて恨みがましいことを忘れて、すすんで自分を卑下するような状況にもっていったりする。後悔の多い人付き合いばかりである。

 わたしには友達がいない、という気分によくなる。なりたいだけなのかもしれない。孤独であると設定することで、人間関係によってもたらされたネガティブな経験を自身から引きはがし、過去のものにしようとしている、のかもしれない。多くのネガティブ経験はわたしがもたらしたものであるにも関わらず、だ。

 他者に低く評価されることは悲しい。他者に拒絶されることは悲しい。他者にないがしろにされることは悲しい。悲しい気持ちに蓋をするために相手を嫌いになる。子供がすることかもしれない。喉元過ぎれば好きとか嫌いとかどうでもよくなる。ただ抜け殻のような無力感だけはしっかりと残っている。わたしは好かれていない。

 おおよそすべての他人が憎い。思い通りにならない他人が憎い。他人だらけの現実社会がとても嫌いだ。それはきっと、わたし自身の想像力の欠如から起こる。他人が自分とは違う生き物であること、自分とは違う生き物が自分とは違う考えをそれぞれ持って生活していること、わたしは25にもなってまだ理解できていないのだ。

 これから先もこのような思春期じみた心情吐露を幾度もすることになりそうな気がしている。そのたびにわたしは自身の不出来を嘆くのだと思う。抽象的な悩みほど解決のための手立てが見つかりにくいという話をどこかで聞いた。だけどボカさないといけないね。直接死ねって言えないからね。

 

□イマジナリーフレンド

 わたしは人間よりもモノが好きだ。モノが多いことがわたしの安心だし、満足である。しかしながら、わたしにとっての娯楽は他者依存のものばかりだ。誰かと会って言葉を交わすことは、おそらくだが好きだ。誰かについてわかったような気になることはとても気分がいい。しかしそこに人間はいるのだろうか。

 人間でさえ要素の集合のように思う。ゲシュタルト:全体に合計値以上の価値を見出せないし、さらに言えばわたしの対人評価は減点式だ。無価値、無意味と判断するや否や、好きという幻想が死滅していく。好きは幻想で、その死はゼロよりもややマイナス寄りだ。そんなわたしに友愛など惰性以外のないものでもない。自身の期待にすら応えられないために、また落ち込む。手に入らないものほど欲しくなる。

 他者はモノではない。他者はわたしのために存在しているのではない。当たり前のような顔をして、よくわからないことを話す。思い通りにならないだけで、それらはモノとさほど差がないように思う。わたしには他者がなにを感じているかを慮るほどの想像力はない。あてずっぽうであれこれやってみたものの、どうやら足りないようだ。

 だからこそ、できるだけ正確な言葉で教えてほしい。モノでないならそれを示してほしい。わたしとなんらかの関係性を持った誰かが何を感じて、何を考えているのか、わからないまま独り相撲で好きになったり嫌いになったりするのは、もう懲り懲りである。去っていった者たちは皆、口を揃えてこう言うのだ。「あいつメンヘラだからさ、」わたしは思う。きっと死ぬときひとりだろうな。

 


Awesome City Club – 今夜だけ間違いじゃないことにしてあげる (Music Video)