才能ない脳

かわいい自分を演出するためだったのにいつのまにやらゲボの掃き溜め

 仲間はずれにもおんなし気持ちで生きている誰かがいると思うことで救われたい。

 自身が独りであると感覚する夜、わたしは文章を書く気力さえなく、枕をどかしたベッドで丸くなって眠る。この大きな身体を丸めたところで、なんの悲壮感も生まれはしないのだけど、それでも可哀想な自分を必死になって演出する。観客はいないのでわたしがよければそれでいい。本当に独り芝居だ。そのうち不自然な涙が出てくる、わたしはたいそうおめでたい。不細工だから何をやっても絵にならない。

 そう考えると、こうしてパソコンに向かっている日はそうするだけのエネルギーがあるということで。愚痴でも不満でも、キーを押すだけの元気があるのだ。だからマシだなんて、わたしはカウンセラーではないので口に出したりしない。

 数ヶ月前のギター弾きになりたいだとか、絵描きになりたいといった妄言が、みっともなく感じられる。だってわたしは絶対に何もできない。ひとりでも楽しい人間になんてなれるわけがない。わたしは自身のどうしようもなさを薬とかゲームとかそういう思考停止のためのツールをたくさん使って忘れて生きている。忘れて、誤魔化して、それでも人並みの生活は遅れない。社会の中で働いて生きることはもうあきらめてしまった。金がないと人間は死ぬ。死ななくても、生きづらさを感じる羽目になる。

 考えることはどうにもならないことばかり。身体が重い。時間が過ぎるのがひどくゆっくりに感じられる。だからたくさん眠って、1日1日をなんとなくでやり過ごしてく。季節が変わる。わたしの身体は老けてゆく。このままいつか致命的ななにかが起きて死ぬ、起きなくても死ぬ。死ぬことについて考えるとわたしは少しも不幸ではないし、行き詰まっているわけでもないのに、と誰かがわたしのダサさを糾弾する。不細工だから何をやっても絵にならない。

 自分自身に対して善き聴き手であれ、といつかフォーカシングの授業で習ったけど、わたしはわたしが信用できないし軽蔑しているので話を聞こうとも聞いてほしいとも思えない。そう思っていたらいつからか自分が何を感じているのかよくわからなくなった。言葉も見つけられなくなった。

 

楽しいことも嬉しいことも、それなりにあったはずなのだけど、やっぱりこんな日はよく思い出せない。えっちなことは彼氏が見てるから書けない。さっき、あとから自分の都合のいいように記憶が書き換えられるタイプのひとだ!という言葉を読んでわたしのことだとおもった。

今はひとりだとおもう。