才能ない脳

かわいい自分を演出するためだったのにいつのまにやらゲボの掃き溜め

今夜だけ間違いじゃないことにしてあげる

□イマジナリーエネミー

 生理周期かなんなのか、全員死んでくれ、みたいな思考に陥ることがままある。全員死んでくれ期の到来、それ自体は珍しいことではないけれど、このところ、他者と相対していると、すぐに怒りによる思考停止、並びに拒絶、破壊衝動、といった、負のイメージを感覚してしまう。お前のせいだよ、と言ってしまいたくなる。

 生身の人間を相手にすることはとても難しい。なるべくなら使いたくない言葉も相手に投げつけてしまうし、自分が傷つきやすくて恨みがましいことを忘れて、すすんで自分を卑下するような状況にもっていったりする。後悔の多い人付き合いばかりである。

 わたしには友達がいない、という気分によくなる。なりたいだけなのかもしれない。孤独であると設定することで、人間関係によってもたらされたネガティブな経験を自身から引きはがし、過去のものにしようとしている、のかもしれない。多くのネガティブ経験はわたしがもたらしたものであるにも関わらず、だ。

 他者に低く評価されることは悲しい。他者に拒絶されることは悲しい。他者にないがしろにされることは悲しい。悲しい気持ちに蓋をするために相手を嫌いになる。子供がすることかもしれない。喉元過ぎれば好きとか嫌いとかどうでもよくなる。ただ抜け殻のような無力感だけはしっかりと残っている。わたしは好かれていない。

 おおよそすべての他人が憎い。思い通りにならない他人が憎い。他人だらけの現実社会がとても嫌いだ。それはきっと、わたし自身の想像力の欠如から起こる。他人が自分とは違う生き物であること、自分とは違う生き物が自分とは違う考えをそれぞれ持って生活していること、わたしは25にもなってまだ理解できていないのだ。

 これから先もこのような思春期じみた心情吐露を幾度もすることになりそうな気がしている。そのたびにわたしは自身の不出来を嘆くのだと思う。抽象的な悩みほど解決のための手立てが見つかりにくいという話をどこかで聞いた。だけどボカさないといけないね。直接死ねって言えないからね。

 

□イマジナリーフレンド

 わたしは人間よりもモノが好きだ。モノが多いことがわたしの安心だし、満足である。しかしながら、わたしにとっての娯楽は他者依存のものばかりだ。誰かと会って言葉を交わすことは、おそらくだが好きだ。誰かについてわかったような気になることはとても気分がいい。しかしそこに人間はいるのだろうか。

 人間でさえ要素の集合のように思う。ゲシュタルト:全体に合計値以上の価値を見出せないし、さらに言えばわたしの対人評価は減点式だ。無価値、無意味と判断するや否や、好きという幻想が死滅していく。好きは幻想で、その死はゼロよりもややマイナス寄りだ。そんなわたしに友愛など惰性以外のないものでもない。自身の期待にすら応えられないために、また落ち込む。手に入らないものほど欲しくなる。

 他者はモノではない。他者はわたしのために存在しているのではない。当たり前のような顔をして、よくわからないことを話す。思い通りにならないだけで、それらはモノとさほど差がないように思う。わたしには他者がなにを感じているかを慮るほどの想像力はない。あてずっぽうであれこれやってみたものの、どうやら足りないようだ。

 だからこそ、できるだけ正確な言葉で教えてほしい。モノでないならそれを示してほしい。わたしとなんらかの関係性を持った誰かが何を感じて、何を考えているのか、わからないまま独り相撲で好きになったり嫌いになったりするのは、もう懲り懲りである。去っていった者たちは皆、口を揃えてこう言うのだ。「あいつメンヘラだからさ、」わたしは思う。きっと死ぬときひとりだろうな。

 


Awesome City Club – 今夜だけ間違いじゃないことにしてあげる (Music Video)