才能ない脳

かわいい自分を演出するためだったのにいつのまにやらゲボの掃き溜め

 否定的な気持ちは続いている。寒さや気圧みたいな、大きなもののせいにしてしまえばいいのだろうけど、それが上手に出来たならいいのだろうけど、わたしはそもそも優しい人間ではないのだろうし、否定的な気持ちや思想が自然な在り方のように思えてくる。何もしようと思えないし、出来ることなら何もせずずうっと眠っていたい。他人は嫌いだ。きっとそれは素直なわたしの気持ちなのだと思う。

 さみしいだけ。そうかもしれない。わたしは2年前に地元に帰ってから、ずっと仲間はずれだ。それは(わたしが勝手に)仲間はずれのような疎外感を感じている、という意味に限定されない。少し悲しいけれど。それまであった人付き合いは実際に消え失せたし、ここには友達はいない。インターネットはきっかけにはなっても、人間を相手にしているという感覚をくれるわけでもない。

 でも、そんなものなのかもしれない。仲間はずれになるような人付き合いなんて、そもそも嘘っぱちで、みんななんとなくそんな気分になってるだけで。みたいな、性格の悪さが滲み出た稚拙な仮説に頼っている。みんなひとりでいてほしい、という、わたしの害意。

 このところ、タイムラインを見ていて丁寧なやりとりにほどウソくささを感じる。誰にでも色をコくな、と言われる。わたしだって馴れ合いたいのに、間違ってるのはこちらの方で、向いてないんだろうね。SNSやめろといった指摘はこれまでに何度も受けている。やめられるものならやめてしまいたいけれど、無理だということもなんとなくわかってしまう。

 たいしてすきでもないものをすきと言えてしまうのはそんなに恰好悪いことですか。わたしの言葉が重みを失っていることなど気づいていないわけないじゃないですか。

 わたしは一人で完結した人間になりたい。他人なんていらない、一人でも楽しく生きていけるようになりたい。けれど、それが叶わぬ願望であることも承知している。わたしの娯楽は他者依存であるし、肥大した承認欲求とか自己顕示欲とかなんかそんなものが他人という装置を求める。なんとも情けないことだと思う。そも、金銭的にわたしは一生自立とは無縁なのだとおもう。

 わたしの敵はいつも、自身のどうしようもなさにある。他人以上に、わたしは自分のことが嫌いなのだとおもう。とうの昔に見捨てている。手綱を握る意志さえない。ダサい。そういった思考が同じ回路を辿って行き着く先の言葉が辛うじて出た、死にたい、なのに、どうしてこんなに安っぽいの?

 

 昔のブログを読み返していたらおんなじようなことをグダグダ書いていたので公開するか少しためらった。