才能ない脳

かわいい自分を演出するためだったのにいつのまにやらゲボの掃き溜め

死神と鈍感

□7月11日に私の好きなシンガーソングライター、大森靖子ちゃんの新アルバムが発売された。タイトルは「クソカワPARTY」。

 実はこのCDを実際に手にして聴くまで、とても不安だった。いや、正直なところ、聴いてからも自分の中に落とし込むまで時間を要した。エイベックス式マーケティングの4形態発売、それぞれに書き下ろし弾き語り音源2曲収録、YouTubeにて先行公開の音源、そして前アルバムのキチガイア、前シングルdraw(A)drowのしっくりこない感じ、前月に発売されたエッセイ集?超歌手での自己誇大感、メジャーデビュー以降、キャラクター性が先行していることなどが主な不安材料だった。

 初めて通して聴いたときも、どうしよう、好きだと思える曲が2曲しかなかった……。と感じてしまった。そんなこのアルバムを好きにさせてくれたのはトニーくんとのLINEでの数日間にもわたるやりとりでした。

 私の感想としては、前半のサウンド面でのアニソンのようなチープさ、詞世界から他者の視点が消えてしまったこと、死の取り扱いがものすごく雑になってしまったこと。彼女の私生活的に、仕事と生活と子育てが中心になってしまって、聞きたくなくても入ってくる話題と言葉でいっぱいで、世間に目を向けたり、誰かの人生を想像したりという余裕がなくなってしまったのかもしれないと感じ、それがとても悲しかった。

 先述したように、トニーくんと対話していくなかで、作曲面ではかなりタイトに作り込まれていることや、今の大森靖子ちゃんの歌唱スタイルとして、これはアリなのではないか、また、アルバム全体の流れは前作よりはるかに良いこと、そして何より、変わりいけども大森靖子という人物の作品であること、これらを踏まえて改めて聴いてみると自然と好きになれた。

アルバムのInterludeをかざる死神という曲は以前から弾き語りで披露されていたものをバラード調にアレンジしたものだったが、好みは分かれると思うが、私はこのアルバムのアレンジがとてもいいと感じた。履歴書は全部嘘でした、という冒頭の一節がとても好きだ。

なにより、東京動画としてYouTubeにて配信されていた「東京と今日」、私の東京への憧れを封じたこころをかき乱すような歌詞だった。「僕はもう大人だから願い事は僕で始末をつけるのさ」。トニーくんもすきだといってくれた。私は自分の願い事に始末をつけられるだろうか。

 

□できればしたくない話をする、生産性とか差別とかその辺の話。以前の私はホモキモいと口に出す自由も認めろ、などと暴言を吐いたが、国の運営を担っている人間が公の場でそれをしては最悪殺されても文句は言えないと思う。生産性のないものに価値はない、なんてのは生産性を求める側の勝手な理屈だし、わたし無職で年金も貰ってて生産性で言えばマイナスもいいとこなので本当にしんどい。ヘテロセクシャルさんの見当違いなフォローも聞きたくないし、ホモの方々の生産性マウンティングを見ていると自分の無価値さに割腹したくなる。

差別についても同じで、自分がされたことがない、イコール、存在しない、では、ホモなんて会ったことない、イコール、テレビの中だけの存在、と思っているヘテロセクシャルと同じくらい想像力が欠如していると思うし、日本人は差別に寛容だなんて思ったことない、ただ鈍感なだけ。無自覚で暴力的、相当タチが悪い。

ニポンワモウダミデス。。。