才能ない脳

かわいい自分を演出するためだったのにいつのまにやらゲボの掃き溜め

熱射と虚無

□夏が暑すぎるせいで、何もできない毎日がただただ僕の身体とこころを老化させている。時間が経つのは相変わらず怖い、だって僕はまだ何もしていないし、出来ていないし、このまま終わることだけが現実味を帯びてきている。夏は苦手だ、どうしたって。たとえ猛暑でなくとも、僕はあんな風にキラキラできない。あんな風てのは別に誰のことでもなくて、いつものように僕の頭の中にいる仮想敵なのだろうけれど、夏を楽しむ才能は僕にはない。にしても、今年の暑さは耐え難いものがある。生活支援センターのおばちゃんが「昭和の夏はこんなに暑くなかったよ」と何度も何度も繰り返していた。父は「世界の終わりが近いのかもしれない」などと少々オカルティックなことを言っていたけれど、世界、終わるならもっとドラマチックに終わってくれないかな。

 さて、8月だ。

 

□どうにも居場所を亡くしたままの僕は、女子大生として生きることでホモの毒から逃げ出そうとした。(なぜか、ホモの方々にはバレバレだったのだけど)同じTwitterで同じようなことを呟いても、ホモの方々よりもメンタルがアレな異性愛者のほうが反応がいい。やはり自分はホモである前に人間として不十分なのだな、と再認した。などと考えていたら、そこでオイモボーイと運命的な再会を果たすのであった。勝手に運命ぶっているだけだけど、うれしかったので許してほしい。ホモの方々との交流が薄くなるにつれて、僕の内なるhomophobiaはなりをひそめていった。もうお気に入りのあの子のことさえ、どう過ごしているか知らない。今はそれでいいともおもう。

 

□就労支援を辞めてから、日中の過ごし方がめちゃくちゃになっている。主治医に頼んで眠剤を増やしてもらったら、意識を保っていられる時間がどんどん短くなってしまった。このままじゃ嫌だと言う恐怖と、何も考えたくないという逃避の間で、精神薬を飲んだり飲まなかったりしている。じぶんになにもないことがこわい。絵も描けない、歌もうたえない、文章も書けない、ギターも弾けない、何より生活ができない。そんな自分とまともに向き合うことがとうとうできなくなってしまった。やる気がないのがこんなにも怖い。生まれ持ってのものなのか、薬のせいなのかわからないけれど、やはり自分にはなにかを成すことはできないようだ。それを忘れるために必死になって眠る。数ヶ月前はそれでもいいと思えていたけれど、こんな自分じゃどうしようもない。何者かになりたかった頃と似た焦燥感がまた僕を追い詰め始めた。仕事ができないなら、せめて、なにかひとつくらいできてもいいのに、な。逃避のためのツールも、読んでいない漫画とクリアしていないゲームと、たくさんあるのに手が伸びないのだ。夏のせいにしようにも限界がある。結局のところ、僕は僕を認められない。愛してあげられないから、からっぽな自分を守ろうと攻撃的になってしまう。お得意の自己愛性PDである。可哀想に。

 

□きっとめのちゃんはすごい人になるぞ、という予感がしている。既に一線を画した人物ではあるのだが。今は素直に応援している。何の他意もなく、彼のこれからがうまくいくといいと思う。

堕落と平穏

就労支援が打ち切りになった。当然、双方合意の上だけど。四月末くらいからずっと精神面での体調が悪く、イライラしたり落ち込んだりキレたり無気力になったりを繰り返していたので、就労支援にもろくすっぽ行かず、1週間丸々休んでしまったりしていた。オマケにアコギを実家に取りに戻ったりしたので、なんだかもう働くつもりがないものとして解釈されてしまったようだ。結局は理想自己と現実自己がかけ離れたところにいることでいつもイライラしている、と話した。では理想の自分とはなんだろうか、となり、東京?弾き語りシンガーソングライター?売れっ子同人作家?まあなんでもいいんだけど、その理想に近づくための努力を一切してこなかったので、そりゃあ身の程知らずな人間に見えただろう。まあシンプルに身の程知らずなんだけども。努力ができないことを環境や疾患のせいにしてきたけど、根底にある自身の怠惰さはどう取り繕っても隠せない。ぶっちゃけ、ぶっちゃけた話でもないけど、社会に適応したサラリーマンなんてなりたくないもの。芸術家になりたかったなあ、なんて言っていいのはきちんと生活を営んでる人だけよねきっと。で、カウンセラーに本当に好きなことってありますか?みたいなことをとわれて、空調の効いた部屋でゴロゴロしながら漫画を読むことですかね〜〜なんて言ったら、コイツはダメだ、みたいな顔をされた。絵を描いたり音楽聞いたりするのが好きでしたよね?と聞かれたけど正直よくわかんなくなってた。もう別にいいや、と希望と理想を放棄したら、なんだかいちいち腹を立てたりしているのがバカらしくなってきた。で、今はとても楽です。TRPもNLGR?もなくてもたまにゲイバー行って、たまに男に抱かれてれば十分ゲイだし、ゲイだからなにかクリエイティブなことしなきゃいけないなんて誰も言ってない気がしてきた。ツイッターもわざわざアカウント消す必要がないくらいどっちでもよくなってしまった。東京行ってもしあわせになんてなれないでしょうどうせ。今のままでいいや。相変わらずお金はないけど、煙草を買うくらいの贅沢ができればいいのよもう。エアコンが幸せなのだよきっと。

 

5月の12日、忘れたくないなって思ったことがあって、たまたま9monで知り合ったぶたきのくんが通話しながら弾いてくれた僕の好きなうた(呪いは水色、すごい速さで、あと数曲)、あれは夢だと思いました。希望みたいなキラキラした光だと思いました。でもそれは世界から僕に告げられたさよならのようで、死ぬのが相応わしいと感じさせられちゃったから、できるだけ生きて、あとはなるべくはやく死にたいなあ。

焦燥と怠惰

 煙草の吸い過ぎで二度目の変声期を迎えた春、両親の手によるモチベーションブレイクを受けている。カネなんすよ、要は。カネがないからつまんないし、日常を維持するのも大変なんすよ。カネが湧いて出るような環境だったら抑鬱だってよくなるってアメリカの研究でわかってるんですよ。でもしょうがないよね、無職なんだもん。両親から仕送りをもらえるだけマシだって言わなきゃなんないんでしょ、でもあんな両親じゃなかったらこんなポンコツメンヘラクソ野郎に育ってないと思うんだよな。親が悪いって言葉はどうしようもなくダサいね。社会が悪いちゃん。

 

はやく真人間になりたくて、いや、はやく自分の労働で得た賃金で生活をしたくて、就労支援に通っているけれどもう既にイヤになっている。働きたくないし、働くための練習ですらイヤになっている。おんなじことの繰り返し、賃金発生しないですしアレ。もう何もしたくないし、GWも何処へも行けなさそうだからずっと豪雨が降りしきればいいのにと願っているけれど大抵は晴天で腹たつなホント。このまま眠ったまま起きなければいいと思いながら毎日布団に入っている。ツマラナイ日常です、空虚だし虚無です。このままじゃいけないんだろうけど、このままじゃだめなんだろうけど、不確定な未来に希望よりも多く絶望を見出してしまう。死にたいって言葉は心のこんなに苦しいところから出てくるのにどうしてこんなにダサいの、誰が死にたいをダサくしたの。イトウヒロキ?

 

わたしの夢はきちんと就労支援に通って、きちんと労働をして、きちんと収入を得て、コツコツと貯金をして、いつか東京に移り住むことです」なんて言ってた数ヶ月前の自分がだいぶ哀れ。せめてゲイじゃなかったら地元とか静岡に残っても良かったのかもしれないけれど、ここにはなにもない。クソつまらんのはおそらくここが東京じゃないから、ではなくて、僕が僕である以上、どこにいてもつまんねぇしどこにいても虚無なんだろうね。ギターがひけたら、漫画が描けたら、って、何年も何年も口にしてるけど一向に叶う気配がないのは、つまるところ、僕が僕だからなんだろうね。ああ、惨めだなぁ。

 

親が死んだらどうするつもり?と妹にきかれた。収入面でのことだろう。カネがなくなれば大抵の人は死ぬし、僕も死ぬんじゃないでしょうか。きっと何も成せずに、何者にもなれずに、怠惰な人間としてフツーに死ぬんじゃないですかね。いやしらんけど。でもそんなんだったらそろそろ見切りつけて死んでもいいかなって思っている今日この頃でした。世界人類が幸福でありますように。

適応と破綻

 静岡市で暮らすようになってひとりでゲイバーに行くという経験を初めてした。それが意外と楽しくて。やがて習慣になって、気が向いた時には顔を出すようになった。そこでの人間関係は希薄なもので、店の従業員以外はあまり名前も覚えていない人が多い。ちやほやされることもなければ、ブスと罵られることもない。平日の客もまばらなバーは居心地が良かった。なによりカラオケの筐体があるのが良かった。追加料金なしで歌えるので、下手したらカラオケボックスよりも割が良かった。歌うことは好きだ、うまくはないけれど。人前で歌うことは普段ないので、なおさら気分が良かった。寂しくて暇を持て余す夜には自然とバーのことを考えるようになっていた。

 

 静岡市には先述した店の他にもゲイバーが数件ある。しかしながら、僕の偏愛するおてんばハウスはない。あったとしても狭い地方都市でのことだ、気まずくてとても行為には至れないだろう。ときおりおてんばハウスのことがとても愛おしく感じることがある。おてんばがしたいのである。

安寧と閉塞

□春

 やっぱり、桜が咲いているあいだだけが春なのだと思った。偶然静岡市に遊びに来ていたよしみちゃんと500mlの缶ビールを飲みながら桜とそれを見ているのかいないのかわからない人たちを眺めていた。昔の知り合いの現状なんか聞きながら、うまくいく人ばかりじゃないね、なんて話した。わたしは彼らの傷にすらなれていなかったのだともぼんやり思ったりした。傷つけるために必死で、頭は悪い考えでいっぱいで、そんな東京時代を思い出した。はて、わたしはうまくいっているのだろうか。

 

□地方都市のメメントモリ

 9月から静岡市で一人暮らしを始めた。きっかけは人に言えないようなことだけれど、今が良ければ大体のことはオーケーだと思う。変わらず、精神科には隔週で通っているし、薬も毎晩7錠飲んで生きている。ひとりの部屋はとても平和でとても窮屈だ。わたしの腕はちゃんと動くし、歩こうと思えば駅までだって歩いてゆける。以前のような燃えるような攻撃性は一人になって鎮火してしまった。誰を恨むとか誰が嫌いだとか、そんなエネルギーだけでは生きていけなくなった。光とか救いとか、地方都市でも意外と売っているものなのだな。変わらず、何者かになりたいみたいなことは言っているけれど、それも本当はなれなくていいかもとか思い始めている。ケモナーにはなりたい。価値ある何者かとは、表現者でありたい、ということだったのだろうけど、わたしは歌の一つもうたえないし、誰かの心を動かすような文章は書けない。けど、わたしの歌はきっとかつ江が歌ってくれるし、こんな独り言でも揺らいでくれる人はいるはずだし。気が向いた時にだけ描く絵だってどこまで行っても自己満足でしかなくて技術と少しの才能のせいにしてすぐにやめちゃう。お金があれば永遠に生きていけそうな気がしてる。怠惰でもいいよ。

 

 でも、飽きてきた。こんなに尊い生活の中でこんなに幸福な環境に置かれて、わたしは満足できなくなってきた。なにか足りない、いつも足りない、つまるところが多分、東京にしかないってヤツなんだろう。諦めなくちゃいけないね、だって、身の程に合わない夢を見ることほど不幸なことはないはずだから。わたしはわたしで、わたしなりのサイズで、わたしなりの速度で、生きるほうをえらんで、あかるいほうへ、光を選ぼう、これでいい?この街に色をつけるのは自分の手で、きっとできるよね。

 

□そんな夜を見つけたよ

 新宿2丁目の邦楽ロックナイトで、ずんちゃんを見かけて、ずっと漫画借りっぱなしだよね、って言われたときに救われた気がしたし、ぽんきちくんと最近どうなの?って話ができたことがとても嬉しかった。わたしは何年も、ただこの瞬間のために生きていたんだ、と思えるような素晴らしい夜だった。ああ、わたしは許されたかったんだ。お酒のせいにしないでね、今度会えたら、どうかまた笑って話してほしい。本当に嬉しかったんだよ。ありがとう。

 

 生きている、ただ生きているだけの状況がさほど辛くなくなってしまって、わたしはすこしだけ悲しい。あんなに死に焦がれていたのに、きっともう心からはわかってあげられないから。自分じゃどうしようもできない気持ちを、あの息苦しさを、忘れてしまったらわたしはただの害悪でしかない。ネガティブとかポジティブとかではなくて、死にたくて朝が怖くて、そんなネガティブを乗り越えて。それでも見つけた光を知っているポジティブにこそ本当に価値が在るんだと今でも思ってるからね。わたしはそんな風に在りたいよ。だからこうして治癒しかけた傷を穿り返す。誰かのためになることを願って。

□せめて、人間らしく

好きな人は多ければ多いほどいいよ理論の木村ちゅわんとは近頃会えていない。あいも変わらず僕には好きな人はたくさんいる。木村ちゅわんは自らの社会に対する適応を嘆いていたけれどそれだって立派だ。それぞれのライフを尊重することによって初めて生まれる相互理解とか言ってるけど基本的に中身は変わらず毒の壺だ。

 

メンヘラレイパーてぃももちゃんについての話をしよう。

「メンヘラビッチが股を広げて待っているだけの時代は終わった、これからはメンヘラが率先して跨っていく時代」をコンセプトに据えて、メンヘラレイパーてぃももちゃんなるキャラクターを創造したのだが、これが意外と自身の本質を表していて、害悪とはこれこのこと、開き直って多くの男性と友人関係になり、尚且つその相手を美味しく戴く、という悪鬼の如く淫行を繰り広げていたてぃももちゃんは、ある日、あるケモ絵師男子と出会う。そのケモ絵師男子のことを仮にY氏としよう。Y氏とはぶっちゃけ出会ったばかりなのに抱きしめたその訳は洗面所鏡ごしに目があって気づいた状態だったわけだが、とにかく言動が愛らしく、寂しがりやで人懐こいのに他人に心を許せないというアンビバレントな点もまた愛しやすかった。Y氏と暮らせたら、と夢に見たこともあった。

そんなことも都合よく忘れてのうのうと生きていたてぃももちゃんこと安岡パス美は、先日、そのY氏がツイッター上でちょっとは名の知れたヤベェヤツ、仮にD氏、と交際しているとの噂を耳にしたのだ。まさか静岡県でY氏の交遊関係についての情報を得ることになろうとは…………って感じだ。

てぃももフレンズ!緊急会議!集合!ピーーーーーッ!!

「「D氏はヤベェだろ…………」」

ケモノフレンズ(っつーかケモナーフレンズ)を総動員して情報の共有、および今後の監視をすることに決めたのである。それが今日までの話だ。

(続かない)

iPad用のキーボードを買ったので試しに何か打ってみようと思い、メモ帳がわりにはてなブログを立ち上げています。特に書きたいこともないのですが、強いて言うなら平穏です。

いまガストでこの文章を書いているのですが、民度が低くて最高です。

iPad用のキーボードの調子は良好です。

やはり外だと頭が働かないというか脳のテンションが悪意モードにならないのでブログ書けそうにないですね。なんのためのキーボードでしょうね。悪意ブログのためのキーボードでもないと思いますが。

死にたくてどうしようもなくてけどエモさにすがるくらいの余力は残ってる時のプレイリスト

1:こころ / SEBASTIAN X

2:ムーンリバー / かみぬまゆうたろう

3:BABY BABY / sēbuhiroko (原曲:銀杏BOYZ

4:風にふかれて / クリープハイプ

5:バナナフィッシュの浜辺と黒い虹 / Galileo Galilei with Aimer

6:おわかれ会 / strong enough

7:64 / SuiseiNoboAz

8:人間そっくり / plenty

9:pray / くるり

10:JAM / THE YELLOW MONKEY

11:まぶしい人 / ハンバートハンバート

12:Life Is Party / andymori

13:回送 / 長澤知之

 

□ドロドロ

 後出しじゃんけんと一過性の心因反応も外的刺激がなければさして問題じゃない。嫌いな人間なんて腐るほどいるけど視界に脳内に入ってこなければさして問題じゃない。だから大抵は大丈夫なんでしゅ。被害妄想と関係妄想から統合失調と診断されているようです。炭酸リチウムを減薬したらだいぶ楽になった。楽に、というかperformanceがそこそこ回復した感じ。思うように手足が動く、意識が動かせる。だらしのないやりとりは控えている。きっとまた毒になってしまうから。父と離れて暮らすために独り暮らしをすることになった。なかなかおもうようにはならない。東京ではない。あなたがいればここは東京よ、あなたとふたりなら、ずっと。でも、誰もいない。

□わたし美

 友達の彼氏がめちゃめちゃかわいい、とか思ってたら虚言癖がひどすぎて別れたとかいってて笑う。かわいいかわいい染タンとはまた話せるようになったのでとても嬉しいです。狂喜乱舞。幾度目かの恋だった京王多摩川駅の彼を久しぶりに見かけたので嬉しい、お互い元気で、とはいかなかったけれど、好きだよ。きみとすごせたらって何度もおもったもの。ODAYAKAがいちばんだと思う。酒とかリアルとかナイトとか2丁目とかなくても好きなひととひとりとひとりでいれればいいと思う、本当ならば。でもそんなにシンプルには生きられなくてゴミみたいだ、と思いながら毒だか薬だかわからない液体を飲み干してる。これが恋かしら。でも選べるものは何もない。後輩女子山口が話を聞いてくれるのにすごい助けられてる。枠の外にいる人間のほうが安心できる。ホモは怖い。

□再魔女

 かぴちゃんやすしぼの文章を読みながら悩む、僕は何がしたくてこんな文章を書いているんですかね。馴れ合い?手づくりの承認?内臓ひけらかしても得られるものなんてほとんどない、ふたつかみっつのはてなスターくらい。かぴちゃんやすしぼになりたいわけではない。わたしはわたしになりたい。僕は僕に成田市。でもあけすけさとか尻軽さとか情報セキュリティの低さくらいしかウリがないのよね、正直なところ。そんなんで文章書こうってのはやっぱ甘いのか。やめてしまいたいな。なにがしたいんだ僕は。

 

☞らじブログ書けらじ☞

クソダサい、何かを否定しないと、嫌わないとブログのひとつも書けないの、かなしい、もう、やめてしまいたい、頭がおかしいから薬を飲んでいるのに薬をのんでも頭はおかしいし救いなんて期待するんじゃなかったなあ、もういいや

 

ねえなんできみはぼくのことすきじゃないの