才能ない脳

♡北欧館に住もうとおもうの♡

64

□さみしいよ、マザーファッカー

 

怪物:

 腐った感情を、凍った経験を、ひいては全部を。わかってほしいという話。

 ふんわりした印象だけで芯に触れずに終わらせるか、小難しい言葉で誤魔化すか、順を追って事実を話すか(もちろん、自分に都合の悪い部分は適度に省略しつつ、であるが)。わかって欲しいという怪物のような欲望に対してどう処理するかを思案している。自分が標準偏差から離れていくにしたがって、怪物は猛る。

 わかってほしい気持ちには形がないことが多い。言葉にしようとしても、少しずつ気持ちからはぐれていく。ブログは読み手を意識する。相談は聴き手を意識する。僕は自分が何をわかってほしいのかいつも見失う。結果噛みついたり吠えたりするだけで、わかってくれる何かとは出会えない。

相談:

 相談といえど、アドバイスを求めているわけではない。ただ聴いてほしいだけのことも多いが、それはどちらかといえば女性的な感性だ(ジェンダー論はお呼びでない)。わかってほしい気持ちを垂れ流すよりも、特定の誰かに聞いて貰えたほうが、よほど自分を正しく肯定できる、とかそんなことはわかりきっていて、でもできないのは世界とそんな関わり方しかしてこなかったから、と結論付けている。他人は装置。

 怖いと感じるのは、たとえば相手がいる場合に、風説の流布・もしくはそのように捉えられる危険性。悪口のようなもので、僕は相談と称してナチュラルに、ニュートラルに他人を貶める手口を好んで使う。が、それらはたいていすべて見透かされていて、自身の株を落とすだけだとようやく気がついた。ので、原則として誰かに他人についての相談をしないことにした。

 そもそも、信用に足る人間などそれこそ阿久津くらいなもので(固有名詞を出してしまった)、それ以外のほとんどの人間は相談することによって得られるモノ(安堵感等含めて)は支払ったものに釣り合わない。情報は資産だというなら尚更である。リスクヘッジ。沈黙は金。

 そんなことを考えているからか、誰かの相談相手として選ばれることは非常に稀である。情報セキュリティとモラルの低さはお墨付きだ。建設的なアドバイスなどできるはずもなし、それでいいと思う。

 (※相談もできない人間は勝手に自家中毒起こして死ぬだけ、対人スキルには他人を信用できるかも含まれているから、だそうです。)

 吹聴:

 (たとえば、SNSで)陳腐なポエジーでなんとなくセンチメントを演出してわかりあえた気分になれたのは大学2年生までだった。意外なことに、ホモには他人の哀愁だとか後悔だとかに寛容な人間は少なかった。むしろ斜に構えた人々にとっての嘲笑の的になったことの方が多いように思う。そのくせ、素朴なイラストに一行詩を載せた様な画像を共有することが好きで、ああ、結局はクオリティの問題なのか。僕が至らないだけなのだな。表現者にはなれない。表現も対人スキルのうちの一つなのだろうか。

 もしくは僕のような、わかってほしいという漠然とした欲望の陳腐さに人は嫌悪感を抱くのかもしれない。だからある人は攻撃的な言葉で武装して、ある人は知性で感情を排してただ事実として述べ、ある人は自身の経験を丁寧に言葉にしていくのかもしれない。たくさんの人間にわかってほしい気持ちを肯定されたらどんな気分だろう。怪物は消えてくれるだろうか。

恋人:

 以前の僕、恋愛にもう少し夢とか理想とか持っていた頃の僕なら、恋人に”わかり手”としての役割を求めただろう。なんだわかり手て。けれど残念なことに恋人がいるはずの今の僕は、(恋人には)しばらく何も話したくないと感じている。僕にとっての聴き手はカウンセラーだけでいいとさえ思い始めた。そんな気持ちはとてもさびしい。

 恋愛について人に相談しない。なぜって、自分が一番正しいからに決まっている。こと恋愛においては自分以外の人間の言葉は全て無意味だからである。先人たちの知恵も悉く価値を持たない。そこには過去の経験すら不要で、現在の自分の感知することだけが事実なのだ。独善的になれないのなら責任をとろうという気概もない。片想いならなおさらで、自分の内に留めておけない気持ちが聴き手を求める。危険な欲求だ。どのような結果を招いたとしても、自分以外の人間は責任をとってくれない。適当な言葉で気持ちを濁されるくらいなら、自分の中で変質させた方がいくらかマシだと思っている。

 誰かを好きなきもちは壊れモノだし、汚れやすい。ので、誰かに触られるのがこわい。

本当:

 人に言われた言葉がどうもうまく呑み込めずに引っかかって残っていても、僕はその言葉にどんな反応を返したのか覚えていない。記憶が自分の都合のいいように徐々に入れ替わっていくのもそのせいだと思う。被害者的な意識は常にあるけれど、実際に僕がただ傷つけられただけである場面は少ない。今度傷つけられたら殴ってやろうとずっと考えていた。そう思っていると案外、優しかった。それでも怯えて過ごす時間のほうが長いので、なるべく距離を置こうと思った。

 わかってもらえなくて悲しいのは、僕がわかってほしいと思っているからだ、と、はたと気がついた。それは愛でもないのに恋でもないのに、ああ、これは欲だ。満たされない欲でいつか傷つくことも同時に知った。

 僕を切り捨てた彼が盲目的な全肯定をもとめるのは、愛着の形成に問題があるんだろうなとか思うだけで、自分が手を差し伸べようだなんて少しも思わない。僕は彼の母親ではない。ともいえ、母親になりたいわけではないのだろうけど。もう同情もしなくていいと思えば、少し気楽でさえある。本当はずっと怖かったんだろうな。こんな風に切り捨てられるのが。

 

 わかってほしいんだろうな、とおもう。でももう、わかってあげない。

ドグマ・マグマ

□いいよなきみはまつ毛も長いし、いいよなきみはすごくやってけそうだし

 昔みたいにおい!大丈夫かよ!おい!って言ってほしいのにあの子はわたしのなかでほぼ完全に死んじゃったのでもう会うことはないでしょうねあんなにかわいかったのに全然大丈夫じゃないし全然大丈夫じゃないって言っちゃってるし口に出すとダサいから黙ってた方がイイでもそれってたぶんみんなわかっててやってるのにわたしだけがこどもみたいなグジグジいじけててガキみたいにみえるんだろうなーっておもうほんっとうにダサくてイヤんなる手ぇ届くはずなのに手の届くはんいにいるひとはだれもすくってくれないのはその程度のひとづきあいしかしてこなかったからだなーわたしふぁぼはされてもリプライきほんてきにこないしなーみたいなことを愚痴アカで言ったらブロックされてた爆笑()たいていのことは自業自得だとおもうからだれのせいにもできないのに視界にはいってきよるたいていのものはわたしよりも悪いからあれーおかしいなーだれのせいなのかなー気圧のせいかーそっかーよかったー鬱かとおもったー!パス美ちゃんは責任転嫁が得意なフレンズなんだね!すごーい!バカにしてんのか殺すぞアッはいバカにされるような生き方してる私が悪いんですよねすみませんバカにしていただいて大丈夫ですほんとあのへんよりアレなんでわたしアレなのにさらに下を探していてスミマセンあのその内輪でわいわいやってるあのへんをバカにしながらもなんだかんだでわいわいやってるひとらの輪にも入れなくてホントア~宿命的に日陰者であるってこういうことか~みたいなことを悟った瞬間にすきだったひともおきにいりだったひとも全☆員☆死☆ん☆で☆く☆れってなっちゃたしでも全員殺してまわれないからわた、わたしがしねばいいのかな……なんてってひばりの朝って漫画でゆってるシーンがすごく好きだったのね2013年の話なんだけどそんときもゆってたずっと日陰者でもマイノリティとか横文字つかうとすくわれた気がするねいじめられっ子はおんなし気持ちになれないとおもうだってじぶんが一番かわいそうなのにおそろいになんてなれないしマイノリティのなかのマイノリティの中のマイノリティの中のってそれお前単体じゃん個人攻撃じゃん完全にわたしだ頭痛いしロキソニンのも薬飲んで寝る即ちさいつよイェーイ

 

□アーメンさっさとアーメンさっさと

 なんて、狂人ぶったところで状況はよくならないのです。アヘアヘ。狂人というか、一時期の大森靖子のブログに対するオマージュなんですけども、わかんなくても問題ないです。なんかさ、ティモシーがダメになったときみたいに、degawapasumiがダメになってきてるからね、もうヤメにしてしまいたかったのサ。ツイッター、とかもうやめればいいのにね、あれやこれに関する話は上の駄文でだいたいほとんど全部なので、それ以外の生活について、いくつか。さすがにインターネットだけでは生きていけないです、わたしとて。

 メンヘラデブ②号ちゃんがツーちゃんねるにさらされた話。⇒なるべくして陥った状況だと思いました。鬱屈した日常に差し込んだひかりみたいな猛毒ダナ~。もっと性格の悪いことは全然たくさん言えてしまうけど、この話はこれでおしまい

 二丁ハロというアイドルユニットの話。⇒大森靖子からとかハロプロからとかそういう縁があって最近気になって動画をいくつか見ています。いつだってゲイの感じる普遍的なさみしさはあるとおもうけど、アイドルというフォーマットで表現するのは時代に即していていいなぁとおもいました小並感()。

 カードキャプターさくら クリアカード編の話。⇒めっちゃたのしい。あのころさくらちゃんになりたかった気持ちがブワ~~って、ブワ~~って、杖欲しい。かわらずマンガだけが楽しい。フィクションは/*他人と違って*/思い通りになるから。

 放サモの話。⇒1月末から始めてドブのようにドハマりしてる。変な笑いが出る。内なるケモフィリアが完全に覚醒した。放サモからケモ絵師を何人かフォローするようになって、絵を見てるけど、おれにも描けんじゃないかって気になってきて、かいたらかいたで似てないと言われた。これは内緒の話だけど、ユーキャンのデジタルイラスト講座を受けようか迷ってる。

 大森靖子ちゃんの話。⇒まだ余裕で信者やれるけどアルバムの発売形態にはちょっとウッてなったし、タイトルでひと悶着あったのも宣伝かな!?って思っちゃったし、さ+く・ら@い・か:お/りさんとの揉め事も宣伝かな!?!??って思っちゃったし(でもあれはデザイナーさんがアレなひとらしい、有名な話らしいけど)。極めつけは批判的なツイート(なんか「大森靖子前から嫌いだったけどやっぱ嫌いだわ」みたいなやつ)をわざわざ引用リツイートしてんのはただただ不快だった。なんであんなにファンも信者もいるのに、否定的なツイートをえらんでRTして自分を支持してるひとらを不安、通り越して不快にさせるようなことするのかなって感じ。いい加減そういうステージから脱してほしいよう。でも下記の曲はよかったし、PVの大槻ケンヂにはグッときた。表現者が人生つらくないといいものが作れないなんてウソだ!みたいなことを朝井リョウと一緒になってゆってたけど、人生つらい組のあなたのことが好きすぎて、まだその影を求めてしまうの。だからシアワセになっても忘れないでね。魔法が使えないなら死にたい。

 

 25歳の誕生日の話。⇒母親がハンバーグ作ってくれて、街のケーキ屋さんでガナッシュトルテをホールで買って、妹たちからお祝いのLINEが届いて、かれぴっぴと長電話をして、プレゼントにぬりえと色鉛筆を貰って。(ア~おれ25歳なのになんでこんな子供みたいな)っておもわないでもなかったけど、とてもしあわせだった。しあわせだったので、このタイミングで死ねたら最高!って思いながら寝た。フツーに起きた。インターネットの人は祝ってくれなかった。要らんけどな、要らんけど、ムカついたのでウォークマンipodについてくるアップルのシールを貼った。

 


大森靖子「ドグマ・マグマ」Music Video/YOUTUBE Ver.

 仲間はずれにもおんなし気持ちで生きている誰かがいると思うことで救われたい。

 自身が独りであると感覚する夜、わたしは文章を書く気力さえなく、枕をどかしたベッドで丸くなって眠る。この大きな身体を丸めたところで、なんの悲壮感も生まれはしないのだけど、それでも可哀想な自分を必死になって演出する。観客はいないのでわたしがよければそれでいい。本当に独り芝居だ。そのうち不自然な涙が出てくる、わたしはたいそうおめでたい。不細工だから何をやっても絵にならない。

 そう考えると、こうしてパソコンに向かっている日はそうするだけのエネルギーがあるということで。愚痴でも不満でも、キーを押すだけの元気があるのだ。だからマシだなんて、わたしはカウンセラーではないので口に出したりしない。

 数ヶ月前のギター弾きになりたいだとか、絵描きになりたいといった妄言が、みっともなく感じられる。だってわたしは絶対に何もできない。ひとりでも楽しい人間になんてなれるわけがない。わたしは自身のどうしようもなさを薬とかゲームとかそういう思考停止のためのツールをたくさん使って忘れて生きている。忘れて、誤魔化して、それでも人並みの生活は遅れない。社会の中で働いて生きることはもうあきらめてしまった。金がないと人間は死ぬ。死ななくても、生きづらさを感じる羽目になる。

 考えることはどうにもならないことばかり。身体が重い。時間が過ぎるのがひどくゆっくりに感じられる。だからたくさん眠って、1日1日をなんとなくでやり過ごしてく。季節が変わる。わたしの身体は老けてゆく。このままいつか致命的ななにかが起きて死ぬ、起きなくても死ぬ。死ぬことについて考えるとわたしは少しも不幸ではないし、行き詰まっているわけでもないのに、と誰かがわたしのダサさを糾弾する。不細工だから何をやっても絵にならない。

 自分自身に対して善き聴き手であれ、といつかフォーカシングの授業で習ったけど、わたしはわたしが信用できないし軽蔑しているので話を聞こうとも聞いてほしいとも思えない。そう思っていたらいつからか自分が何を感じているのかよくわからなくなった。言葉も見つけられなくなった。

 

楽しいことも嬉しいことも、それなりにあったはずなのだけど、やっぱりこんな日はよく思い出せない。えっちなことは彼氏が見てるから書けない。さっき、あとから自分の都合のいいように記憶が書き換えられるタイプのひとだ!という言葉を読んでわたしのことだとおもった。

今はひとりだとおもう。

 否定的な気持ちは続いている。寒さや気圧みたいな、大きなもののせいにしてしまえばいいのだろうけど、それが上手に出来たならいいのだろうけど、わたしはそもそも優しい人間ではないのだろうし、否定的な気持ちや思想が自然な在り方のように思えてくる。何もしようと思えないし、出来ることなら何もせずずうっと眠っていたい。他人は嫌いだ。きっとそれは素直なわたしの気持ちなのだと思う。

 さみしいだけ。そうかもしれない。わたしは2年前に地元に帰ってから、ずっと仲間はずれだ。それは(わたしが勝手に)仲間はずれのような疎外感を感じている、という意味に限定されない。少し悲しいけれど。それまであった人付き合いは実際に消え失せたし、ここには友達はいない。インターネットはきっかけにはなっても、人間を相手にしているという感覚をくれるわけでもない。

 でも、そんなものなのかもしれない。仲間はずれになるような人付き合いなんて、そもそも嘘っぱちで、みんななんとなくそんな気分になってるだけで。みたいな、性格の悪さが滲み出た稚拙な仮説に頼っている。みんなひとりでいてほしい、という、わたしの害意。

 このところ、タイムラインを見ていて丁寧なやりとりにほどウソくささを感じる。誰にでも色をコくな、と言われる。わたしだって馴れ合いたいのに、間違ってるのはこちらの方で、向いてないんだろうね。SNSやめろといった指摘はこれまでに何度も受けている。やめられるものならやめてしまいたいけれど、無理だということもなんとなくわかってしまう。

 たいしてすきでもないものをすきと言えてしまうのはそんなに恰好悪いことですか。わたしの言葉が重みを失っていることなど気づいていないわけないじゃないですか。

 わたしは一人で完結した人間になりたい。他人なんていらない、一人でも楽しく生きていけるようになりたい。けれど、それが叶わぬ願望であることも承知している。わたしの娯楽は他者依存であるし、肥大した承認欲求とか自己顕示欲とかなんかそんなものが他人という装置を求める。なんとも情けないことだと思う。そも、金銭的にわたしは一生自立とは無縁なのだとおもう。

 わたしの敵はいつも、自身のどうしようもなさにある。他人以上に、わたしは自分のことが嫌いなのだとおもう。とうの昔に見捨てている。手綱を握る意志さえない。ダサい。そういった思考が同じ回路を辿って行き着く先の言葉が辛うじて出た、死にたい、なのに、どうしてこんなに安っぽいの?

 

 昔のブログを読み返していたらおんなじようなことをグダグダ書いていたので公開するか少しためらった。

今夜だけ間違いじゃないことにしてあげる

□イマジナリーエネミー

 生理周期かなんなのか、全員死んでくれ、みたいな思考に陥ることがままある。全員死んでくれ期の到来、それ自体は珍しいことではないけれど、このところ、他者と相対していると、すぐに怒りによる思考停止、並びに拒絶、破壊衝動、といった、負のイメージを感覚してしまう。お前のせいだよ、と言ってしまいたくなる。

 生身の人間を相手にすることはとても難しい。なるべくなら使いたくない言葉も相手に投げつけてしまうし、自分が傷つきやすくて恨みがましいことを忘れて、すすんで自分を卑下するような状況にもっていったりする。後悔の多い人付き合いばかりである。

 わたしには友達がいない、という気分によくなる。なりたいだけなのかもしれない。孤独であると設定することで、人間関係によってもたらされたネガティブな経験を自身から引きはがし、過去のものにしようとしている、のかもしれない。多くのネガティブ経験はわたしがもたらしたものであるにも関わらず、だ。

 他者に低く評価されることは悲しい。他者に拒絶されることは悲しい。他者にないがしろにされることは悲しい。悲しい気持ちに蓋をするために相手を嫌いになる。子供がすることかもしれない。喉元過ぎれば好きとか嫌いとかどうでもよくなる。ただ抜け殻のような無力感だけはしっかりと残っている。わたしは好かれていない。

 おおよそすべての他人が憎い。思い通りにならない他人が憎い。他人だらけの現実社会がとても嫌いだ。それはきっと、わたし自身の想像力の欠如から起こる。他人が自分とは違う生き物であること、自分とは違う生き物が自分とは違う考えをそれぞれ持って生活していること、わたしは25にもなってまだ理解できていないのだ。

 これから先もこのような思春期じみた心情吐露を幾度もすることになりそうな気がしている。そのたびにわたしは自身の不出来を嘆くのだと思う。抽象的な悩みほど解決のための手立てが見つかりにくいという話をどこかで聞いた。だけどボカさないといけないね。直接死ねって言えないからね。

 

□イマジナリーフレンド

 わたしは人間よりもモノが好きだ。モノが多いことがわたしの安心だし、満足である。しかしながら、わたしにとっての娯楽は他者依存のものばかりだ。誰かと会って言葉を交わすことは、おそらくだが好きだ。誰かについてわかったような気になることはとても気分がいい。しかしそこに人間はいるのだろうか。

 人間でさえ要素の集合のように思う。ゲシュタルト:全体に合計値以上の価値を見出せないし、さらに言えばわたしの対人評価は減点式だ。無価値、無意味と判断するや否や、好きという幻想が死滅していく。好きは幻想で、その死はゼロよりもややマイナス寄りだ。そんなわたしに友愛など惰性以外のないものでもない。自身の期待にすら応えられないために、また落ち込む。手に入らないものほど欲しくなる。

 他者はモノではない。他者はわたしのために存在しているのではない。当たり前のような顔をして、よくわからないことを話す。思い通りにならないだけで、それらはモノとさほど差がないように思う。わたしには他者がなにを感じているかを慮るほどの想像力はない。あてずっぽうであれこれやってみたものの、どうやら足りないようだ。

 だからこそ、できるだけ正確な言葉で教えてほしい。モノでないならそれを示してほしい。わたしとなんらかの関係性を持った誰かが何を感じて、何を考えているのか、わからないまま独り相撲で好きになったり嫌いになったりするのは、もう懲り懲りである。去っていった者たちは皆、口を揃えてこう言うのだ。「あいつメンヘラだからさ、」わたしは思う。きっと死ぬときひとりだろうな。

 


Awesome City Club – 今夜だけ間違いじゃないことにしてあげる (Music Video)

蝶々結び

バイト辞めたい、ずっと寝てたい

週4、4時間時給820円、月収換算5万弱の超絶楽勝のはずのバイトがしんどくなってしまった。たぶん、身体的な負荷とかは関係なくて、いままで少し飛ばしすぎてたというか、いい顔をしていた揺り返しなんだろうと思う。大学時代に講義で習った適応障害という言葉が浮かぶ。過剰適応で自滅するのはこれで一体何回目なんだろうか。とにかく、行きたくないのだ。なんでかな、レジくらいしかすることはないのにな。昨日はズル休みをしてしまいましたので、社会人としては失格です。

 

□好意と行為と恋

 きっかけはツイッターの話。すきなひとばかりフォローしていたら、すきなひとがたくさんできてしまった。こんなことを言っていいのかわからないけれど、恋人との通話よりもLINEよりも、楽しい時間がたくさんあって、それらは大抵すきなひとたちによるものなんです。それはめのちゃんだったり、阿久津だったり、りゅうくんだったり、鴨さんだったりなんだけど、楽しかったり、楽しそうだったり。昨日も僕のかわいこちゃんだった早大生との通話していて思い知らされた。なにもない僕の生活を彩ってくれる他者の幸福。素直に喜べるときばかりじゃないけど、それでも大切なものだと思っているよ。友達だって言えたらなぁ。まだそれだけの関係性は築けていないようにおもうから、すきなひとなの。

 すきなひとたちと恋人はあまりに違う場所にいて、なんていうか、これが僕の欲しかったものなのか疑わしい気持ちを抱いてしまう。

 恋人に対しては恋じゃなくて友愛の気持ちで付き合っていきたいと思っているから、(そもそも恋が必要だったらこのかわいこちゃんがすごい!2016のことでアタマがいっぱいの時に他の誰かと付き合ったりしない)それはそれでいいのだけど。

 僕よりも、相手が疲弊している、のを感じている。たぶん、そろそろ。だけど、その時が来たら泣くんだろな。

 

□冬

 大橋トリオとかSalyuとか、なんとなく他の季節にはなかなか聞かないような音楽を聞いている。それでも思い出にはなってくれなくて、なんだかこの街にはなにもないことをひたすら感じるだけみたいだ。

 からっぽでも、わたしはわたしよ、と言えるようになったけれど、喪失は怖い。かつてわたしだったはずのものが抜け落ちていくのは恐ろしいよ。

 


Aimer 『蝶々結び』

POSITIVE STRESS

□ POSITIVE STRESS

 後輩女子:山口と大森靖子ちゃんのTOKYO BALCK HOLEツアーファイナル@ZEPP東京にいきます。


大森靖子「POSITIVE STRESS」MusicClip

 新譜のPOSITIVE STRESS、いいです。

 火山ちゃんが「大森靖子は弾き語りの頃が一番よかったなんて言わずに今の大森靖子をみなよ、最強で最高だから」みたいなこと言ってて、グッときました。

 おれはもう、「二丁目の大森靖子になりたい」なんて厚かましくてとても言えなくなってしまったけど、あんな気持ちがもう一度思い出せたらな(そもそも二丁目はおれの居場所ではなくなってしまった)(そもそもそもそも楽器が出来ない)。

 ねえ、寒いですね。地下鉄の駅を出たら息が白くなって、まだ11月になったばかりなのにね、真冬みたい、とは後輩女子:山口の台詞。風邪ひきそうよ。

 

□魔法が使えないなら死にたい

 少し昔話をさせてね。

 2013年の4月、タワーレコード新宿店の邦楽フロアで「魔法が使えないなら死にたい」という文字を目にしたとき、おれはアタマん中がグシャってした。お前はわかってくれんのかよって、まだ信じられなくてイラだったけど、ちょっとうれしかった。キモイね。その言葉は、おれの鬱屈した生活のだいたいほとんどすべてだとおもった。で、ジャケットを見て唖然。「これ、勝訴じゃん、大丈夫かよ」それが大森靖子だった。

 そのころのおれは、タワレコのポップやキャッチコピー、さらには”ポスト○○!!”といった表現に辟易していて、音楽のことなんてそんなに好きじゃないかもしれないとすらおもってた。タワレコにいたのも、多分新宿でホモと遊ぶための待ち合わせまで、時間を潰していただけだと思う。でも視聴機のヘッドホンを耳につけて、そのアルバムを聴いたとき、愛してるよ、愛してるよ、愛してるよと繰り返す、予想していたよりも少ししゃがれた女の声に、これはもうダメだ、すきになるって確信した。そのCDは宝物になった。

 おれはそれまでアーティストのライブなんて数えるほどしか行ったことがなかったんだけど、トリプルファイヤーとのインストアライブ、新宿LOFTでの転校生、ベルハーとの3マンライブ、そんで、渋谷クアトロワンマンと、彼女のライブにはちょいちょい足を運んだ。ギターをかき鳴らして歌う彼女に圧倒されるのはなによりも気持ちがよかった。

 おれの2013年はこのアルバムと共にあったと思う。ホモのツイッターに歌詞を投稿してメンヘラ扱いされた。クリエイティブライティングの講義では、彼女の歌詞をもとにショートエッセイを書いた。@ユーチューブさんで彼女のライブ映像や動画をずっと見ていた。おれの部屋ではいつも大森靖子が流れていた。

 彼女の言う魔法とは、おれが考えてたようなファンタジーの世界の魔法じゃなくて、もっとずっとたしかな音楽の魔法のことだったけど、魔法が使えないなら死にたいと歌う彼女はもう、とっくに魔法使いだと思った。クソ陳腐な言葉でごめん。だっておれの生活を描き換えてしまったんだもの。


大森靖子「魔法が使えないなら」PV

 

□ファンレター

 こんなにすきだって、おれはただのファン、消費者でしかなくてね。だからCDも買うし、ライブもいくし、応援したいと思っているけれど、それでも1ファンの枠からはどうしても出ることが出来なくて、きっと靖子ちゃんがおれの声のことを「かわいい声ですね~」って言ってくれたことも、おれがそれで自分の気持ち悪いと思ってたホゲホゲ声を受け入れられたことも伝えられなくて、このままいつかよくわかんないままよくわかんなくなっちゃってこんな気持ちを忘れるのかなって思ったら、すごくさみしいよ。一度だけふぁぼってくれたあのツイートはおれの宝物です。

 もし何者かになれたら、大森靖子ちゃんの大ファンですって言いたかったな。それだけなんだけど。

NANIMONO

何が何者にもなれないだよバーーーーーーーーーーカ!!!!!!!!!!

ったりめーだろ!!!!!

 

 このブログを始めて最初に使った文字サイズ変更機能がこんな文章だ。うわあ。

 NANIMONO feat.米津玄師、キャッチーでいいですよね。映画はキャスティングが気に入らないので見ていません。二時間座っていられないので見ていません。原作を最後まで読んでいないので見ていません。見る予定もありません。

 

とか言ってる間に劇場公開が終わりかけています。


中田ヤスタカ 「NANIMONO (feat. 米津玄師)」MV FULL ver.

 

ウッ

 

 おいしいカレーがたべたい

 

バイバイバイト梅毒

 もうすぐ僕は25歳で、それはつまりもう性格も生き方も価値観も変えられないほど固定されてしまったということだとおもっているよ。だけどそれはようやく自分が自分じゃなくなる恐怖から解放されるということなのかもしれない。僕は誰かにこんな自分を変えてほしいと嘆きながら、自分が薄まることに常に怯えていたのかもしれないね。だけどこんなんになっちゃったよ。自己肯定感はあまりに希薄だ。

 アルバイト先でオーナーと二人でやる夜勤があまりにきつかったので、宝具:精神科通い手帳持ち(ランク:E)を行使して昼勤に移ったら邪悪なババアにいじめられた。世の中。パートのババアは偉そうで横柄でおせっかい焼きでしつこかった。○○さんがしんどいんでやめます、と言ったらエリアマネージャーと口喧嘩になった。そこでは感情的になってしまったので僕の負け。結局オーナーが気を使ってくれて夕勤の4時間だけ働くことになった。まだ一ヶ月なのに我儘を言いすぎている気がする。辞めるのとどちらが良かっただろう。まあバイトだし、という言い訳をいつも念頭に置いている。

 アルバイト先に小、中学校時代の同級生がきた、2人の子供を連れて。ケバいお姉さんだなあ、とおもっていたら、僕の名前を呼んで、あっ?え~~~ウケる~~!元気だった?え?地元に居んの?知らなかった~~!!と話しかけてくれた。警戒していたほど、その出来事は不快ではなく、また来てね、と言って見送った。彼女の上の子がずっと「ヤダ!!」と言っていて、「○○ちゃん、ねぇ、このお兄ちゃんね、ママの学校のおともだちなんだよ」と紹介されたのだけど、「ヤダーーー!!」と言われたのがとても可笑しかった。そっか、もうそんな大きい子がいるんだね。なんだか羨ましかった。

 僕は僕が恐れていたほど憎まれていなかった、ような気分になった。彼女はケバいお姉さんだったけれど、ちゃんと母親だった。それがどれだけ特別なことか、きっと彼女本人もしらないだろな。

 めのちゃんが仲良くしてくれている。(!)あんなに恋焦がれためのちゃんが、こんな僕と(たとえツイッターの付き合いでも)仲良くしてくれているのがうれしい。そんなめのちゃんが、「自分は”何者かになれなかった何か”になれたとおもっているよ」と言っていた。素敵だと思った。結局なにを言っても、どうしても、自分の価値を決めるのは自分なのだと思う。少しわかったことだけど、僕を何者かにしてくれたのはドラマチックな恋でも、映画みたいな逃避行でもなくて、ありふれたコンビニのバイトだった。それは客観的視点のふりをした主観でしかないのかもしれないよ。

 僕はフリーター、ニート見習い、実家暮らし。手帳持ちのメンヘラだけど、それで今は充分だとおもった。

 

 とか言って来月にはやめてたりしてな!

花束を君に

□加速

 いろいろなことが突然動き出した。前回の記事を書いてからの20日ほどで僕は少し変性したように思う。かわいい自分を取り戻さなくては、と思って、焦ってブログを書いている。かわいい自分なんて、いつの日もいたことなかったけど、なら、なにを探しているのか、わからないけど。とにかく、なにもしないことからうまれる焦燥感とは別の、違う焦りが僕を襲っている。どうしよう。処理が出来ない。間に合わない。ああ、これが、あの。

 (生活が善くなりますように、と受けたバイトの面接では週5の夜勤を命じられ、今からいつぺシャッと潰れてばっくれようか逆算しているし、せめて自分を好きになれますように、と願って買った黒のフォークギターも、すでに薄くホコリを纏っている。3カポ。)

□膨張

9/13、9/27

 この2回で、通院している精神科で心理検査を受けた。WAISの数唱・逆唱ができなくて、あ、音声系がダメなのかもしれない、と気づいてしまった。大学の講義でやったはずのロールシャッハでもなんか的外れなことばかり言っていたし、もしかして、アタマ、悪くなってるんじゃないか?nou ni tokeru asobi?

 (夢をみるのも自由、恋をするのも自由、この場合の自由とは、許可されている、よりも少しよわい意味で、推奨されているのとはもっと違う)

 病院の先生は、週5の夜勤について、勧めない、無理だなって思ったら早めに辞めること、と言っていた。身体だけは壊さないようにね、とも言っていたけれど、こんな身体に価値があるとも思えない。ただ、病気になると金がかかるということは知っている。金は親が出す。

 (ゲイセクシャルがペドフィルやネクロフィル、ズーフィルとおなじくらいいけないことで、社会がそれを認めなくても、僕はいくらでもアンダーグラウンドで行為をする、恋をする)

9/27

 宇多田ヒカルの新譜を買った。「花束を君に」が好きだったから。彼女のオリジナルアルバムを買うのは、実はこれが初めてです。田舎にはサブカルチャーどころかカルチャーがないよ、カルチャーセンターはあるのにな。だから僕は宇多田を食べる。御馳走だとおもう。世界中が雨の日も君の笑顔が僕の太陽だったよ、

□dreamless

9/16-22

 懲りてない、また東京へ行ってきた。大丈夫。もう過剰な期待はしていないから。自分の都合のためにまたたくさんの嘘をついて大人から金を巻き上げた。言葉が悪すぎる。でも本当。主な目的は大森靖子の生誕祭と、山口のフォロワーと会うこと。

 アコギを見た母親が激昂して口論になったので予定よりも2日早く家を出た。おかげで会えないはずの会いたかった人に会えた。宿も金銭面もどうにかなったのでいいや。

 山口のフォロワーはかわいかったけど、噛み合わない気持ちをずっと感じていた。

 雨のふる新宿で、どうする?という流れに何度もなったけれど、「君の名は。」も「聲の形」も見たかったけれど、2時間すわっている自信がなかったのでやめた。

 聲の形は大好きな漫画です。映画になったことで、文化人や良識人にぶった切りにされてしまっていることに思うところがないわけでもないけれど、うまく言葉に出来ないし、彼らの正しさは悲しさを孕んでいるから、何も言えない。

 いじめられっ子と被差別民族は少し似ていると思った。

9/22

 最終日、土砂降りの渋谷で、このかわいこちゃんがすごい!2016とデートをした。人目を避けて握った左手が、バカみたいに熱くて、これが恋だと思いました。だけど夢だと思いました。だから僕はきみとさよならしたのち、うっとりしながら線路に飛び込みたくなる衝動を抑えるのに必死でした。帰りたくなかったの。ありがとう、生身のファンタジア。ほかの人ともこうして会ったりするんでしょう。彼氏がいるのも知ってるよ。だけど嬉しかったから、また会いたいな。

□病毒

9/27

 恋人ができた。

□どうしたらあなたみたいになれるの

 もうだめだよ、もうムリ、て境界線がほかの人よりもずっと手前にあって、本当に無理になるまでにやめてしまう。それが自分に甘いとされる所以だ。だけど僕の無理ラインは、ほかの人と違う座標にある。

 なにかしようとするたび、やっぱり僕はポンコツだ、と酷く落ち込むハメになる。だから何もしなかったんだな、と、ようやっと思い出すことが出来た。この感覚を手に出来ただけでもう十分なので、僕を安全な場所に帰してください。ここはどうもおちつかないんです。

 おれは羨ましいよ。きみのことが羨ましい。ごめんね、きみのことなにもしらないけれど、なにもみていないけれど、きみのことがうらやましいんだ。

 愛しているよ、マイフレンド。いつか会ったならどんな話ができるかなぁ。